ちしきよく。

雑多系ブログ。みなさんの「何かを知りたい!」という欲を叶えましょう。

病んだ闇属性・暇人が自分語りします



あとで読む

 以下全てフィクションとなりますが、どこまで信じるかはあなた次第です。

 

彼女なる存在

女性という存在がそもマレな理系学部、しかもさらに女子の少ないクラスにいる私は、今日も家で一人さみしくこの記事を書き殴ってます。

 

いちおう、私も「彼女」なる存在がいたことがあります。

藍色の大きいコートに身を包んだ初々しいm歳(mは自然数)の私と、同じくm歳の、精一杯のおしゃれをした彼女さんは、近所の寂れた商店街で買い物デートをし、その後、毒々しい青色のイルミネーションで模られたシカとゾウを見ながら、二人で手をつなぎました。

それは青春の塊でした。

 

生来の闇属性である私は、ぶっちゃけ「手汗がやばい」「あ、手って意外と冷たいんだ」ぐらいのことぐらいしか覚えてませんでしたが、それなりに「ろまんてぃっく」なことをしていたのだなあ、とうらやましくなります。

 

高校では別の人に告白されました。斜陽がかかる黒板の「(せ)・き・し・しか」のチョークの消し忘れを見ながら、好きな文学作品について、未来の科学技術について、ロシア語由来の外来語について、私たちは何時間でも話すことができました。しかしその人を恋人にするには、私は幼すぎたのです。

なんかまあ、そんな感じのことがたびたびありました。

コミュ力おばけ(自称)なので席替えで隣になった女子といい感じになることが……。

 

 

でも大学は違う。

男女比という強烈で残酷な現実が、肉食獣のように、男性陣の前に立ちはだかります。

社会人になった友人は会社で恋人を見つけますが、文系学科のイケない友人はクラスで片想い、家で手慰みにふけってるそうです。

理系学科の某野郎などもはやひらき直り、単位とD(次元)を落としました。

 

女子のいない学科にいた私たちはお互いを慰め合っています。

「どうせ俺たちの学科女子いないしね」と笑いあい、焼肉食べ放題で唐揚げ4人前を頼み、ゲームに負けた人が全て食べる地獄絵図。

むさ苦しい野郎どもの間にむさ苦しく囲まれつつ、残念ながら残念でしたと言わんばかり、「乾杯!」の声を皮切りにして、現実の苦々しさと、神様とやらが行った残酷な無作為抽出の結果とを飲みほすわけです。

 

寒空のもと私の肩にもたれてくるのは可憐な少女ではなくただの野郎。そいつはストロングな酒の刺激を脳に直接浴びて、道端に嘔吐していました。

そいつが無理やり詰め込んだ唐揚げが、もとの形を失いかけたまま道に転がる。

牛タンの油に塗れたザ・異形クリーチャーが、酒と涙と胃酸のプールに溺れたままで、街灯にテラテラとライトアップされています。

 

なぜ彼女がいないのだろう。

だがしかし、考えても考えても答えは出ない。うちの学科でも彼女をつくっている人は(一部だが)いるし、しかも同じ学科じゃなくて別の学部だという。

どこにそんな出会いが転がっているのかとんと見当もつかぬ。

きっと転がるんじゃなくて掘り出すんだろうな。

 

バイト先にもサークルにも確かに女性はいます。

仲も良い。

でもそこからどう発展させるのか、教科書も両親も先生も教えてくれません。

透明になる機能を搭載した超高額テキストが闇市で出回っているのだろうか。皆それを読んで実行に移しているのだろうか。

*1

 

しかし今度は別の疑問が頭をもたげます。

「いや、そもそも、そこまでして彼女がほしいのか」と。

 

痛い目を見る

理系諸君ならご理解いただけるでしょうが、「なぜ」を考え出すと、最終的に根源的な問いに行きつきます。

 

大抵は

 

なぜ人間は生きるのだろう

なぜ宇宙は存在するのだろう

なぜ自分は生まれたのだろう

 

哲学レベル100の野生の疑問たちが次々と私たちを襲う。クリぼっちの私を襲う。

こうなったときはもう救いようがないので、さっさと寝るか、もしくはスクワット100回をするかに限ります。

以前書いた記事、

 

www.chishikiyoku.com

 

へのブクマ、id:某さんからの冷やかし?

「普通に生きる」って難易度高すぎ。みんなすごい - ちしきよく。

夜中に書いた文章を公開するのも難易度高いよ

2017/11/13 09:02

b.hatena.ne.jp

 

に対して「せやな!!!!」と納得してしまうぐらいには、私の思考回路は昼と夜で逆なので、寝るかスクワットかするほうが時間の得です。

でも、たまに「なぜなぜ」を問い詰めた先、予期せぬ大草原や風光明媚なスミレ色の稜線が見えることもあるのだから、面白いもの。ブログの記事はだいたいそんな感じですから、昼の時の私を見て、皆さん驚くことと思います。

 

当然ですが、なぜなぜ尽くしをしすぎて、痛い目を見たこともあります。

いや、痛い目を見たことの方が多い。

全く答えが出ずに2時間が経ったときなんかは、自分の脳を取り出して洗浄液に浸してやりたいと毎度毎度思いますが、学習能力がないのでそれを繰り返すんですね。つくづく人間は私は愚かな生き物だ。

 

考える=建設的 とは限らない

よく「実行する前によく考えろ」という人がいます。

 

ここからはことば遊びですが、ちょっと矛盾してません?

というのもだいたいのことがらはヒャク:ゼロではありません。白黒でもない。

グレーゾーンにあって、こっち立てればあっちが立たず、無理が通れば道理が引っ込む、石が流れて木の葉が沈む。

論理とかじゃ解決できないこともある。超自然的な力に頼らざるを得ないこともある。自分の力じゃどうにも制御できないこともある。リスクが大きすぎることもある。

 

決断には何らかの「放棄」が必要というのが私の考えです。

キュウジュウゴ:ゴを無理やりヒャク:ゼロに置換して決断する必要があるってことですね。

よくよくよく、よーく考える、という行為を行えば、ほとんど絶対に論理じゃ解決できない問題が呼ばれて飛び出る。だから本当はいつまでたっても決断ができないけど、世間はそれほど悠長に待ってくれない。

 

確かに考えつくすことがよしとされる場面もありますが、それは結果論というか、「考えた末に正しい答えがあったとき」のみよしとされるわけで、そういう意味では考える、というのは一種の劇薬みたいなもんなのかな、と。

その先に建設的な答えが待っているかなんてのは関係なくて、ただ私はいつも「シリョ」という名の劇薬を飲み干してしまう。思わぬ回答にたどり着いて問題が解決することもあれば、袋小路に迷い込んで砂漠の中心に取り残されることもある。

 

どう転ぶかは考えてみるまでわからないんです。

 

強い薬になることもあれば、ただ毒にしかならないこともある。

 

それがまた面白い

「なぜ?」を考えても、その後の結果まで予想することはできない。

それを一種のリスクと捉え「考えすぎると病むから考えないようにしよう」という方もいます(というかそっちが多数なのかも)が、私はむしろ逆のようです。

 

思慮に入り込み餓死する、という結果「だけ」がわかってるとしたら、人間は考えを放棄するでしょう。

しかし実際はどうか。考えてみるまで、自分がどこにたどり着くのかわからない。

そんな意味不明さこそが面白いのではないでしょうか。

思考に地図はない。風光明媚な頂上であることも、なぜか下山しちゃってたことも、環境開発が進みかけの汚い場所に出ることもあるだろう。

行き当たりばったりの旅が面白いのと同様、思想の迷宮は、まだまだ私を魅了するようです。

 

もちろん病んでしまわないよう、「寝る or スクワット」の精神は、忘れないようにしたいものですが。

ついこの間、中学時代の「彼女」なる存在と(人間関係的な意味で)復縁を果たすことができたため、思い出成仏として書きました。私が結婚式のスピーチをしなきゃいけないらしいです。(所要時間 k年)

*1:もちろん自分から動くべきだ……というのは、女性も男性も同じであろう。寝転がっても恋がやってくるなんてのは、ごくごく一部の人間にのみ適用される、特別なものなのである