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【嘘松案件】ツイッターやコピペの「拍手喝采」はなぜイタいのか



あとで読む

嘘松。

 



当時流行していた「おそ松さん」とかけたことば。

嘘八百のエピソードをツイッターなどで話す人のこと。

 

実例を挙げるのがはばかられるほど「ガセっぽい」話もありますが、実際にあげちゃうと荒れるのでやめておきます。

まあ……なんだろう。

 

なんであいつら、すぐに拍手するんだ?

 

嘘松の源流は2ちゃんにまで遡る

嘘松だ嘘松だ、すぐにガセ認定して叩きだすのも考えものです。

そもそも嘘松とそうでないものの区別って、めちゃくちゃ作為的なんですよ。

 

ツイッターなら嘘松だ、ってなってますが、2ちゃんのコピペにだって、どう考えても嘘でしょこんなん、というエピソードがあって、しかもそっちのほうはなぜか「本物」認定されてますからね。

 

例えばコレ。

今日スーパーに買い物に行ったんだけど障害者駐車場に若いDQNが
爆音上げながら斜めに駐車してきた

ちょうどそこに巡回して来たパトカーが来てマイクで
「障害者の方大丈夫ですか?店内にご案内しましょうか?」って話しかけてた

車から降りて当然のごとく普通に立ってるDQNに
「歩けるのですね。どこの障害ですか?頭ですか?」ってさらに話しかけてた

DQNはなんかしゃべったようだけどすぐ車に乗ってどっか消えて行った
女子高生数人がパトカーに向かって拍手してた

 

ほんとにこんなこと言ったらクビですからね。絶対。

今ツイッターでいえば絶対に嘘松認定でしょうが、当時のコメントにこれの信憑性を咎めるものはほとんどなく、だいたいは「よくやった!」「警官すごい!」みたいなのです。嘘松ってことばが便利すぎるからツイッターのほうだけ嘘扱いされてしまってる。

 

 

これが本当扱いされ、ツイッターのなんでもないホンワカ話が嘘松認定されるのなら、悲しいものです。

 

嘘松が嘘松であるために

有志によって、嘘松テンプレートなるものがつくられています。

嘘であろうツイートのよくある構造を抜き出して、指標にしています。

ただ、ツイートだけでなく、ある程度は2ちゃんコピペにも適用できるかと。構造主義ですね。

 

例えば

「非常識な人を、第三者が一方的にタコ殴り、スカっとした」

「笑った勢いで〇〇して今病院にいる」

「(知らない人と)握手して今一緒に歌ってるとこ」

「(主人公の趣味や性的嗜好に)異様に理解がある人が登場」

「~~~っていう話はしたっけ?」

でその中に

「周りの人間が拍手する」

ってのもあるんですよ。

 

確かに嘘松かどうかの区別は作為的なのですが、拍手は結構見分ける指標になると思うんですね。

 

ここは日本ですから、バスや電車で乗り合わせただけの他人とは、みんな儀礼的無関心を貫きたがります。いくらブラボーなことが起きても、自分から拍手しようという気にはならないんじゃないでしょうか。

だって、人生でいろいろスカッとには巡り合ってきましたが、実際に拍手が起こった場面なんて、一度もありませんもん。

 

 

最初のコピペもそこを考えると途端に怪しくなりません?

女子高生数人が拍手してた、ってどういう状態なのか。

 

嘘が嘘であるためには、やはり何らかの条件が必要なようです。

そこに一枚かんでるのが、拍手なんじゃないかと。

 

拍手の「文脈」

拍手は相手に同意・相手を称賛するときに使います。

あんたのいうことは間違っちゃいねえ、あんたのやったことはすばらしい、そういう感情を、最も簡単に表現することができるのが拍手です。

目や耳が不自由でも、両手があいていれば行うことができます。

同意の意味で拍手をするのはおそらく人間だけですから、ホモサピ特権といえるでしょう。

 

で拍手の何が便利かって、拍手させとけば、それだけで同意や称賛を表せるんですね。

いちいち「ありがとうございました」とかを、それぞれの登場人物に言わせる必要がない。まとめて「すごい」で済むわけですから。

 

つまり、嘘松エピソードをつくる側として、これ以上に便利なものもないわけです。

 

以下、私がつくった「スカッと話」です。実際にはこんなこと絶対にありません。

 

 

給食を食べ終わるまで居残りさせる小学校の先生。授業参観で授業が終わった後、とある生徒さんの母親が手を上げ、厳かに言い放ちました。

「先生、うちの子がきのこアレルギーだということを知っていて、我が子にシイタケを食べさせようとしたのですか」

先生、固まる。

ほかの子の親御さんも次々に名乗り上げる。

「掃除時間になってもまだ食べさせていたというのは本当ですか」

「髪の毛が入っていたにも関わらず食べさせようとしたらしいですね」

そんな中、一番前の席に座っていた女の子が、

「でも先生、この前ニンジン残してたよね」

ニンジンというチョイスが子どもっぽく*1、とても生徒に「残すな」と強要している人だと思えないのが面白かったので、教室は笑いに包まれました。

そして、その女の子に対する拍手が、保護者側からも生徒からも起こったのでした。

先生、ずーっと顔真っ赤。俯いたまま。

 

ありえねえ!!!!

最後に「子ども」という、幼いながらに本質をついた発言をする存在*2を登場させ、子どもへの同意や称賛を「まとめて」示す手法として、拍手を用いています。

 

あくまで仮説ですが、拍手というのはそういう感じで用いられるのではないでしょうか?

 

なぜ同意や称賛を示すのか?

コピペやツイッターの話が全て嘘なら、という前提ではありますが。

そもそもなぜ拍手をさせる必要があるのか。

「子どもが本質をついた」だけでいいんじゃないか?という話です。

 

これに関しても答えがある程度わかってて、たぶんですが拍手が「オチ」なんですよね。

 

本質をついた発言をした、差別主義に対抗した、それだけだと話の中の登場人物が、宙ぶらりんのままなんです。どこかで結論に着地させる必要がある。

「自分も、自分以外の登場人物も、皆その発言に賛成しているぞ」というオチを、どこかでつけてやる必要があるんです。

そして、最も手っ取り早い手段が、拍手だったと。

 

げんに「拍手に包まれた」以降の話は、コピペにもツイッターにもほとんどありません。拍手でとめておかないと話が蛇足になることを、彼らは暗黙的に知っているからです*3

破綻した論理を振りかざす人間に正論をぶつけたとて、逆上されて恨みを買って終わりな気がしますが、そういうことを考えない登場人物を出し、現実では言えないスカッとな言動を言わせる、というのが、まあ確かに気持ちいいのはわかります。

さっきの話を書いてるとき、私もそう思いましたもん。

 

なぜ拍手がイタいのか

そうそう、結局この話ですね。なぜ拍手がイタいと感じるのか。

単に「嘘っぽいから」じゃ説明がつかないんです。

スカッと話を創作することが「イタい」というのもありますが、やはり拍手があると一段と「うわぁ……」となりやすい理由、それを述べることが必要。

 

まず先述の通り、拍手が我々に身近でない、ということは大きな要因でしょう。

コンサートやライブで見ることはありますが、リアルで拍手をした経験、そんなになくないですか?

しかも目の前には「頭おかしい人」とか「逆切れした人」とかがいて、自分が拍手したら恨まれそうな場面ですよ。

 

絶対にとは言わずとも、ほぼほぼありえない。

 

これが海外ならまだわかりますが、日本人が、となるとねえ。

 

それから、誰も敵側を擁護してない、というのも。

満場一致の拍手というのはまあ、ほとんど見られないんですよ。

コンサートでさえ拍手しない人がいるのに、たまたま集まっただけのその場の全員が、全員拍手喝采というのも、かなり微妙。

私の創作した話でいえば「給食を居残りさせて食べさせることに、賛成の親」もいるでしょうから、彼らはきっと拍手をしないと思います。

共産主義みたいな*4一致感、それも要因にあると思います。

 

てことで結論を出すならば、

「拍手が現実にありえないシチュの代名詞になっており、嘘松エピソード全体を修飾しているから」だと言えるでしょう。

 

ありえないシチュというのはもう「拍手」がすでにありえなく、その場の全員が拍手することがありえなく、そもそもそんなエピソード自体が、最初からありえない。虚無虚無プリンな状態なのですね。

 

創作話をしたい皆さん、満場一致の拍手をさせたいのをおさえ、「まばらな拍手」ぐらいにしておきましょう。一気に嘘臭くなりますので。

 

以上が拍手喝采についての考察です。

 

 

以下、個人的な所感になります。

 

 

嘘か本当かはどうでもいい

うだうだ書いてきましたが、実はネットの話が本当か嘘か、けっこうどうでもいいんですよ。語弊があるな。

その話が本当であっても嘘であっても、それを確かめるすべがない以上、考えてもしょうがない、というのが近いな。

 

むしろポストトゥルースというか「嘘でも面白ければいいんじゃね」と思う派でして。

だから、その話が面白い限りは許容できますが、つまらん上に拍手喝采系だと、ちょっとアレアレアレとはなります。

それから、そういった類の小噺を「他人へのマウンティング」とか「単なる価値観の否定」として用いるのは、ちょっとどうかと思います。たいていそっち方面で使われてますけど。

 

嘘松認定師がシュバババとやってきて「嘘松だ!」と叫んでる場面をよく目にしますが、正直、マウンティングとかじゃない限り、そんなに目くじら立てることでもないよなあ、と感じます。面白ければいい。ホンワカならいい。

だって、嘘かどうか絶対にわかんないんだもの。

 

ですので、今回の記事も、「結局のところ真偽は闇」という仮定をおいたうえで、読んでいただけたらな、という気持ちでした。

 

 

*1:ニンジンが苦手な方、すみません……

*2:これは、日本文化を馬鹿にする日本人に対する外国人とか、若者を馬鹿にする老人に対するギャルというように、形を変えて登場する

*3:もちろんそれらが全て嘘なら、という仮定によればですが

*4:伝われ