ちしきよく。

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前提無視の「正論」は時としてうざい・迷惑なのでは



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 正論は気持ちが良い。

 

特に、ネットに溢れ返った、ズカズカとしたものいい。

 

自分だけが正しいという前提のもとで繰り出される言論は、口調の刺々しさや非難、皮肉などを多分に含み、人によっては傲慢とも捉えられかねないものです。

こういう世界に生きているといずれ現実世界での言動も変わってきてしまう、というのが私の考えですから、今回はこの「正論」を戒める記事を、自戒のために書いてみます。

 

自分の中だけで完結した発言

以前こういう記事を書きました。

 

www.chishikiyoku.com

 

要約すると、

そもそもの価値観が違うため、「両方正しく、両方間違っている」という状況が、現実世界では容易に起こり得る。

それを知らずに自分の論理のみを押し付けても、何も良いことがない。

 

例えば「車を持たないと移動の上で不便である。電車やバスは決まったルートしか運行しないし、徒歩だと時間がかかる」という発言は、確かに論理的です。前者の文章から後者の文章を導くのは、ごく自然な流れ。

 

しかし例えば会話の相手が「車を不便なものと信じ込んでいる」のであれば、いかに論理が正しくとも、その発言の正当性が認められることはないでしょう。

 

相手の価値観と自分の価値観が違うと知らぬまま何かを言おうとすると、容易く相手を否定し、傷つけてしまう。

価値観を広く認めるのはとても難しいのです。

 

事情の裏をくみ取らない発言

基本的に、

相手の事情を考えず、斟酌なき物言いをする人間は敬遠されがち

そんな物言いをする人間を人生で4人ぐらい知ってますが、みんな何かしらのいじめを受けていた経験があるのは、少しかわいそうでした。誰も教えてくれなかったのか、いじめられたから距離感がおかしくなったのかはわかりませんが。

 

 

彼らの話は正しいけど、それはあくまで最低限の正しさ、論理的正しさでしかない。

 

人を傷つけたりカチンとさせたりするような言動が多い人間は、たとえ正しくても嫌われる……。

しかし厄介なのは、正論を言うときの気持ちよさというのが、また何物にも代えがたい快感なんです。

 

よく「正論を言わなければいいじゃん」と言いますが、それもまたブーメランです。

ニラニラと燃える顕示欲を発揮したいがための正論です。それを抑えるのは困難でしょう。*1

 

太っている人に「太ってると病気になりやすいらしいよ、デブは甘えだよ」と言う。

 

タバコを吸う人に「タバコって害しかないし、やめたら?」と言う。

 

爪を噛む癖がある彼氏を気にする人に対し「そんな彼氏気持ち悪いから別れなよ」と言う。

 

もちろん「あらゆる場面で人を傷つけるな」ということではない。そんなのは絶対無理です。エスパーじゃないのだから。

 

しかし、人と会話するうえでの、最低限の想像力、事情を考慮する力というのはほしいもの。

ただ論理的にしか正しくないことを言いたい誘惑に打ち勝ち「敢えて言わない」選択をするかどうかが、大人と子どもの境目だと思います。

*2

 

強調しますが「正論をいっさい言うな」ということでは決してありません。

時として正論は時としてマイナスのニュアンスも受け持ちます。マイナスになるのは「前提や文脈を全無視した」正論。タイトル通りですが、ここを読み違えられると痛いのでご注意ください。

 

マイナスな正論が迷惑な理由

いや別によくね?自分が気づかない視点を与えてくれるかもしれないでしょ?というのは正しいです。正論というのはプラスのものもいっぱいあって、知見や洞察を与えてくれるものも事実。

 

しかしそれはあくまで「正論を聞くとき」の話。

言うときに「あ、オレって今良いこと言ってる。新たな知見を相手に与えてる!」と思い込むようなことがあり得るから迷惑なのだ、という話です。

メンヘラメンヘラと他人を糾弾しまくった結果自分がメンヘラ扱いされてる……みたいなそんな架空の話。そんな人、いませんね?うん、いないいない。

 

正論を言う人間は自分が「役に立たない正論」を言っていることには得てして気づきません。

それどころか、自分は有能で相手は無能だと思い込むような、いわばただのマウントになっていることにさえ、気づかないことがある。ネットはそういうのが特に多い感じです。

 

正論を聞いてどう思うかは自由ですが、「他人をやたら傷つけたくはない」という人は少なくとも、自分の正論が独りよがりで文脈ガン無視の迷惑なだけのものになってないかどうか、顧みる必要があるでしょう。

敵をつくります。生きるのが難しくなります。

 

正論言いたいときには

ワンクッション置くべきです。これはもう間違いない。

 

「痩せてみる……ってのもいいかもね」

「禁煙してみたいとか、思ったことある?」

当て擦りにならない程度にうまく言えば相手も意図に気付きません。

大事なのは、相手の考えを尊重するように見せることです。

 

みんな、自分の意見が無下に扱われるのを嫌います。正論を言われるとそう感じてしまいがちなので「こういう解決策があるけど、やっぱり考えてるよね?」と言って、相手がどう出るかを待つ。

 

そうすれば勝手にいろんな反応が返ってくるでしょう。

そこから何となく察しをつける。「あーたぶん踏み込まれたくないんだろうな」「建設的な意見を望んでるのかも」みたいな感じで。

最低限、地雷を踏むことは避けられます。

 

それで察しをつけられない人は、もう「他人の恋愛、家庭、仕事事情を話題にすること」じたいを、全部放棄するしかないのかもしれませんが、それを放棄するとこんどは親しくなるのも大変だろうし、むずかしいところですね。

 

口は禍の元なんてほんとによく言ったもので、めちゃくちゃ言いまくってる人が、新環境でたった数か月で孤立していくのを見るのは、心にくるものがあります。

 

ああ、生きるのって、どうしてこんなにつらいんだろう。

*1:言い換えればみんな、こういう正論を一つや二つは言ってしまったことがあるのではないかと思います

*2:この定義によれば、現実でもネットでも、大人は相当少ないですが……