ちしきよく。

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図書館に行くとめまいが起きるアレ、何なんだ



あとで読む

【注意】これは、駄文(だぶん)です。

 

現象エントリ二つ目。

 

共感されないと思うな。

それを承知で書いてる。

 

図書館に行くと、頭がくらっとして、自分が自分じゃなくなる感覚を覚えるんです。皆さんはありませんかね?皆さんがなくても、皆さんの中の一部の方に共感してもらえばと思って書いてます。

 

概要

まあ……タイトルの通りなんですが、大学の図書館みたいな、ある程度でかい図書館だと特に起きやすい。東大のオープンキャンパスに行ったときが一番ヤバかったですが、うちの大学の図書館でも起こります。

で、これはもう「慣れ」とかがなくて、行けばとりあえず起こってしまう。

不思議なことに、小中高の図書館では起きたことがなくて、規模の大きさとかが関わっているように思います。

 

さらに付け加えるならば、自分の専攻してない、全く関わったことがない分野の蔵書のある棚に行くと、起きやすいです。

イスラーム文化についての本とか、中国語の昔の本とか、海外の法律の本とか。

自分が理系だってのもありますが、特に文系が研究してる分野の本だと、ずらっと並んだタイトルを見るだけでもう、ヤバい。死にそう。

不思議なことに、専攻してる分野の本を見ても何も起きないんですよ。

 

さらに言えば、未知の本を手に取って、ペラペラとめくってみたときなんて、もうめまいが絶頂なもんで、すぐにページを閉じないとぶっ倒れてしまいそうなんです。

 

そういう現象、ありませんかね?

 

これで終わるのも何なので、共感してくださった方のために、原因を考察してみます。

 

知識の木

心理学とかでは割と一般的なんですが、人間の脳ってことばをある程度体系化して覚えてるんですよ。例えば「数学」ということばがあって、数学の中に「幾何学」「解析学」とかがあり、幾何学の中にはチェバの定理だとか何だとか、細かいものがずらりと並んでいるわけです。

 

よく、ものの名前が出てこないけど、その関連分野、というか関連用語なら出てくる、って場面ありません?ひとの名前でもいいです。

あれが起きてるのはそういう理由らしいです。体系の幹のほうはきちんと覚えてるけど、葉っぱの部分をどうしても思い出せない。近い葉っぱの部分や幹なら思い出せるのに……!!って。英語で"Tip of Tongue"(ベロの先まで出かかってるのに)現象って言うんですが。

 

例えば太郎君がいます。太郎君はあなたのクラスと同じだとします。

そうすると、あなたの脳内で、太郎君の情報は「人間」のくくりに入ってて、それから「男性」「理学部」「生物学科所属」「13組」「友人」「田中太郎」の順番で階層化されて入ってるんですね。

田中太郎が出てこないときに「えーと、あいつだよ、友人の……」とか「13組の……」「生物学科の……」「佐藤花子じゃなくてえーと……」となることがあるのは、そういう理由です。

 

それと同じように、知識というのはある程度、木に例えることができるでしょう。

 

全く別の木に思いをはせる

さて、めまいの原因なんですが、結論から言えば、

別の木の知識たちに想像を巡らせているから

なのではないかと予想されます。

 

じっさい、社会の全ての学問は、どれをとっても孤立してるってことはなくて(グラフ理論で言う「連結」ですね)、すべてがちゃんと、どこかしらで繋がっています。

 

ですが、自分が例えば文学を専攻していたとして、文学から計算工学へのリンクが、どうしても見えない。確かに繋がってはいるんだろうけど、その実感がわかないわけです。

そういう時に計算工学の蔵書のところに行くと、結局、自分が今まで専攻してきたものが全く役に立たない、といいますか、全然見えてこないわけです。

これ即ち「未知との遭遇」ですよ。

 

知識の木に例えるなら、(確かにどこかで繋がってはいるけど、別の木に見えてしまう)関わりのない知識たちに思いをはせて、一人で打ちひしがれている?感動している?という図になるかと思います。

 

よくよく思い返してみると、ヒエログリフを見たとき、線文字Bを見たときにも、同じようなめまいがありました。自分が全く知らないものを見たときへの、あの独特の畏怖感覚は、知的な仕事に関わる全員が持っているはずですが、それを極端にしたものが、私のような例と言えるでしょう。

 

それにですね。夜の山を歩いてるときとかも、同じようなめまいが来るんですよ。

歩きなれた街の、暗がりの路地裏も同じです。

やはり「自分が知らないもの」への畏怖は原因としてあると思います。

 

 

開かれていないページ

さらにいえば、私は昔から少々変なところがありまして。

今でも多少は変だと自覚してますが、昔はたぶんもっと変人で、

 

www.chishikiyoku.com

 

「本のページって読まれてない時はどうしてるんだろう」と考えて、気が狂いそうになった

 なぜかめちゃめちゃ怖くて、自分もそうなったら嫌だなと思い、全てのページの合間に指をつっこんで、全部のページを同時に読もうとしていた

これもう、Twitterの大喜利レベルですからね。そんな人いるかよ、っていう暗黙とともに面白おかしく語られるレベルの、キモさ。何やってんだ、自分。

 

解説しておきます。

本というのは当然ながら読まれない部分のほうが多い。何百ページあろうと、同時に読むことができるのってたった1ページです。ページが多いほど、読まれないページの数は多くなります。

 

実はこれが、大学の図書館でこそめまいがいっぱい起きる理由だと考えてます。

私立図書館とかと違い、大学は書物にある程度のお金をかけることができます。

歴史のある大学には、100年前の書物なんてのがザラにあります。

隅っこのほうでホコリをかぶり、開かれるのを待っているような書物がいっぱいあるわけです。

 つまり何が言いたいか。

読まれてないってことです。

 

かつて「読まれてないページになるのが怖くてたまらなかった」という人が、ホコリを大量に被って変色したページを見たら、そりゃめまいになるのは当然です。

 

結論 

私だけ!!!!!

 

誰にも共感されないはずのお悩みですが、同じ悩みを共有される方、気持ちがわかるという方はぜひともコメントお願いします……