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ちしきよく。

雑多系ブログ。みなさんの「何かを知りたい!」という欲を叶えましょう。

某Youtuberが起こしたチェーンソー事件を「アホ」の一言で終わらせるの?



あとで読む

ヤマト運輸をチェーンソーで脅す!Youtuberの長谷川和輝

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小学生の夢の第3位にYoutuberが入っていたというのも記憶に新しいニュースです。

Youtubeで動画配信をして生計を立てる人たちをYoutuberと呼ぶらしいですね。

 

左の表は半年前に大阪府内のある小学校が調査した4年生男子の将来の夢です。1位サッカー選手、2位医者、4位公務員は納得できますが、3位ユーチューバーには驚かされました。

(http://mainichi.jp/articles/20160322/ddn/013/100/023000c)

 

この是非はとりあえずおいといて、そんなYoutuberたちが誤解されかねないような、残念な事件が起こってしまいました。

 

 

チェーンソー恫喝事件

www.youtube.com

 

はい、これを見ていただければわかるかと思います。

事件のあらましは以下の通り。

 

 

ヤマト運輸に配達を頼んでいたが、長谷川(動画に出ている人)が不在だったため、配達員が荷物を持ち帰った

 

その後、ヤマト運輸からの連絡があった際、荷物を受け取れなかったことに腹を立てる

 

直接向こうに出向き、「早う荷物出さんかい!」「Youtuberなめとったらアカンぞ!」と叫び、チェーンソーを作動

 

これが彼自身の手によって全世界配信され、逮捕

 

 

まあ、表向きはアホという言葉で済んじゃうようなもんなんですが、とりあえずこの事件の問題点を見ていきたいと思います。

 

「バカが起こした事件」で済ませるな

たぶん、このニュースを聴いた人のうちの8割は、

ああ、またYoutuberとかいう乞食がやらかしたのか

ただのアホが騒いだだけ

アホにはネットもたせるな

という感想で終わってしまうでしょう。これじゃあいけない、と私は思います。

 

 

www.youtube.com

 

まず、恫喝したときの声とは全く違う、いわば「外向き」の丁寧な声で応対しているのが驚きです。声だけ聴いていれば、今回の事件を起こしちゃった人とはとても思えないようなもの。つまり、アタマ悪そうな人の話し方じゃないんですよ。

※この事件を起こした時点でアタマ悪いとかいう突っ込みは的確すぎるのでやめてください……

 

本当にこの人が恫喝をしたのだろうか?と思ったのです。

 

www.youtube.com

 

こっちがニュースになったときのもの。

長谷川容疑者は逮捕後、

「父親とケンカになりイライラしていて、過激な演出をユーチューブで配信することで発散しようと思った」

と述べていたそうです。過激な演出って自分で気づいてたんですね。

 

そのケンカの原因は、

www.youtube.com

この動画からわかるように、「父親が荷物を受け取ってくれなかったこと」であり、

この一連の騒動をネタにしてアップすれば面白いのではないか、という発想に至ったそうです。

 

やっぱりネタだったんです。

 

まあ、アホですよね。

アホなのは前提として聴いてくださいよ。

私は、「過激なものを面白いと思うような受け取り手側」の問題でもあるのではないか、と思ったんです。

 

その背景からお話ししていきましょう。

 

消費される大衆娯楽

娯楽というのはいわば「消費物」であると考えられます。映画も、マンガも、本も、インターネットのページだって消費物です。つまり使い捨て

早い話、娯楽はケツを拭くためのトイレットペーパーと同じなんですよ。

 一度見た娯楽物をもう一回見ようとはなかなか思わないものです。

 

賢いはてな民の方々はきっと、一度見知ったことがまた未知になったり、一度読んだ本からまた別のことを学べたりする、と知っていらっしゃるでしょう。

 

しかし、大多数はたかが暇つぶしにそんなこと考えない。

人によっては、娯楽は手持ちぶさたを解消するためのものでしかなく、それ以上でも、それ以下でもありません。

不倫騒動を面白おかしく書き立てるワイドショー然り。他人のふんどしで相撲をとるまとめサイト然り。コンビニに安くで売ってある「世界の真実!」なる陰謀論の本然り。

一般に娯楽といわれる娯楽について、その意味(物語の考察とか)を本気で考えれば、それは娯楽でなくなってしまいます。立派な考察です。

使い捨てしてこその娯楽なのです。

 

はてな民の一部の方々もやはり娯楽を使い捨てしているかもしれない。誰かが書いた記事……ホッテントリ入りした記事をただ読んで、漠然とコメントを残して、そうやってブクマしたものは二度と読み返さない。ブクマという名前が示すように、本来は読み返すためのものなのに。

そういう使い方をしている人だってきっといるはずなんですよ。

 

こういう状況において、私は娯楽の性質を「消費」であると結論づけました。

そして、この最たるものが「動画」です。

 

これを示すために、(一般に言うところの)動画という娯楽物の特徴を挙げてみます。

 

 

  • 劇やオペラよりも高尚ではなく、場所や人を選びません
  • 本よりもジャンル分けが難しく、雑多です。
  • テレビや映画よりも1本あたりの再生時間が短いです。
  • 不特定多数に視聴されるため、本よりも専門性が高くありません
  • 意志によって再生速度を変えにくいです。
  • ゲームよりも手軽で、主体性がいりません

 

そういうわけで、動画サイトは成功を収めています。というのも、動画のもつこれらの特徴はまさに「消費される大衆娯楽」にピッタリだからです。

これを言い換えると、

何も考えずに楽しむには動画が最適だ

ということになります。

 

「あ、面白そうな動画あった」

「ふーん」(視聴中)

「次の動画行こっと」

という流れができやすいのです。1時間もすれば、自分がこれまでどんな動画を見て、それがどんな流れだったかなんて覚えてません。まさに娯楽が「消費された」と言ってよいでしょう。

 

動画を見るのは、他の娯楽よりずっと楽ですよー!

だって、何も考えなくても自分の観た動画と関連する動画が表示され、それをクリックするだけで再生され、何も考えずに見ることができるから。

しかも再生の時間は、1本が30分から数時間になるテレビや映画より短いときた。

動画が大多数に受けない理由がないのです。

 

テレビ局が「若者のテレビ離れ」なんて騒いでますが、動画が普及した現代においてテレビはあまりにも不利だと言わざるを得ません。

テレビも動画も、専門性が低く、雑多なのは同じですが、動画は再生時間が短く、気に入らなければその他の大量の動画の視聴に移ることができる。その面テレビは決まった番組が決まった時間にしかありません。

 

「若者の映画離れ」も同じ。映画館に行かないと見れない映画と違い、動画なんてコンピュータ機器と電波またはルータさえあれば見れますから。

 

また、「若者の読書離れ」と言われて久しいですが、これもある意味当然だと思います。読書が主体的に活字を追わないといけないのに対し、動画は何も考えなくても勝手に進みますし、その専門性も本に比べて低いです。活字が読めない人だって、動画なら楽しむことができます。

 

これ自体は何も悪くありません。

娯楽ってのはいつの時代もそういうものであり、娯楽の時間さえ頭を空っぽにできなかったのなら、今頃人類の頭は肥大化して破裂しているでしょう。何も考えず動画視聴に興じる時間があっても、別にいいはずです。

 

 

過大消費→倦む

しかし、大衆娯楽の「消費」という性質は非常に厄介であり、一言で表すと

倦む

という現象を人々に起こします。

かつて日本のオモチャ産業が、「外で遊ぶこと(娯楽)」に飽きた子どもたちに、お人形遊びやゲームアンドウォッチやら人生ゲームやらの「家で遊ぶゲーム(娯楽)」を提供しつづけているのと同じで、

 

同じベクトルの娯楽を消費していると飽きてしまう

 

のです。そうすると、動画を楽しんでいた人たちは別の娯楽に行くか?

というと、そういうわけでもありません。

 

なぜなら、何も考えないで楽しむ娯楽としては、動画が一番だから

 

つまり、考えないことに慣れてしまった人たちは、わざわざ読書とかマンガとかにはいかないんです。「考える」という行為を手放して久しいのですから、多少とも読むこと(考えること)を求められるこれらの趣味に転じはしない。

だから、どうするかというと、

「考えること」の代わりに、「過激さ」を求めるようになります。

 

なんだろう、たとえとしては不健全で不謹慎ですが、麻薬をやめられない人が、麻薬に耐性がついて、快感を求めてより多くの量を服用してしまう、ようなものでしょうか。まあ禁断症状なんてありませんが。

 

娯楽の「過激さ」

消費される大衆娯楽に、過激さが生まれてしまった。だがしばらくするとそれに飽きてしまう。

そうすると、例のラーメン二郎禁断症状の画像のように、

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動画という娯楽を大量消費する側はさらなる過激さを求めるようになります。

 

これが実際に事件になってしまったのが、下。

 

www.sankei.com

 

小型無人機「ドローン」を国会議事堂近くに持ち込むなどしていた横浜市の無職の少年(15)について、警視庁は21日、浅草神社(東京都台東区)の三社祭でドローンを飛ばすとの発言をインターネット上に投稿したとして、威力業務妨害容疑で逮捕した。

少年(15)と書いてありますが、「ノエル」というニコ動生放送をメインに活動している動画配信者です。彼の名前で調べればいろんな動画がヒットします。

 

www.j-cast.com

2月に起きた川崎中1殺害事件では、容疑者宅前で中継して警察に職務質問されたほか、被害者の通夜会場前でも関係者に取り囲まれ、テレビで映像が流れる事態にもなっていた。

 

彼は動画の視聴者に対し、(任意の)支援金を求め、自分の口座番号や名前なども公開していました。ドローンはおよそ20万円しますし、中継のための移動費もかかりますから、普通の(当時)中学生が買えるようなものではなく、視聴者から得た支援金によって購入した、と考えるのが妥当なところ。まさか親が買い与えてないよね?

※ドローンによる撮影自体は許可を得れば行うことができます。飛行自体は犯罪ではなく、祭りを上空から撮影したところで誰にも迷惑はかからないので難しいところです。

 

探せばいろいろ出てきますが、「じゃがりこにつまようじを混入させてみた」を動画としてYoutubeに配信した人もいましたね。あとは……ニコニコ生放送で、スタバに爆竹を投げ込んだ事件とか、ラウンドワンに原付で入店した事件とか。

 

 

消費と過激化のスパイラル

彼らがどうしてこういうバカげたことを行うのか、ということを考えたとき、彼らの頭の中には常に

ネタになるかどうか

という命題がつきまとっている、と推察することができます。

 

正しく言い換えれば、彼らは

その行為を行ったときのデメリット(捕まる、迷惑になる)より、

メリット(注目を浴びることができる、自慢になる)

が先行してしまう、ということ。

 

で、注目ってのは誰から浴びるかというと当然

娯楽を消費する一般庶民

であり、もっと詳しく言えば

娯楽に倦んだ結果、より激しい娯楽を消費しようとする人々

です。

 

つまり、「配信者が過激なことをするからみんなが見に来る」んじゃなくて、その逆「みんなが過激なことを求めるから配信者が過激なことをする」と。

その証拠に、ノエルくんは支援者から送られた数十万円で過激なことやってます。逆にいえば、どうして支援者は金を送ったのか?というと、もちろん過激なものを求めてるから。

 

いつも大量にものを買って贅沢に使う某はめしゃじちょー氏や、他人をディスって再生回数を稼ぐ某したばー氏、自分の住所を公言して注目を浴びようとする某瞬殺このるばると氏など。彼らに共通するのは「過激なこと」や「過激な発言」です。

(※ニベア風呂作るのが過激じゃない……とは言わせませんよ)

 

なぜなら、視聴者がそれを求めるから。

過激なことをしないと視聴者が離れるから。

 

彼らはそれに気づいているんですね。当たり障りのないことやってても知名度上がらないから、少しでも他の人たちと差をつけようと、過激なことをする。そうしないとやっていけない。

つまり、Youtuberという職業じたい(まだ職業じゃないかも)が、

娯楽の消費者が無意識に生み出した消費、倦怠、過激化のスパイラルに組み込まれた存在であることを示しています。

変な言い方ですが、今回のチェーンソー事件の犯人である長谷川和輝容疑者も、このスパイラルに巻き込まれてしまった犠牲者なのかな?と。

勿論彼がしたことは犯罪であり、到底謝罪で許されるものじゃないですがね。

 あ、なんか炎上ブロガーってYoutuberに似てるかも

 

だいぶ話が壮大になってしまいましたね。

今回ハッセー8003TVこと長谷川氏が起こしたチェーンソー事件ですが、これを単なる一人のアホYoutuberが起こした事件としてではなく、我々一般市民が無意識に「過激さを求める」ことが背景で起きた事件として捉えると、また違ったものが見えてくるのではないか?というおはなしでした。

 

 

これは個人的な論にすぎないので、矛盾なんかもいっぱいあるはずです。

よりよきものにしたいので、質問やら反論がある方は

コメント欄にて

お願いします。(ブクマで吐き捨てもOKですが、答えられません) 

 

以上、5000字の長文でした。お読みくださりありがとうございました。