読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ちしきよく。

雑多系ブログ。みなさんの「何かを知りたい!」という欲を叶えましょう。

xとχのような些末に拘泥する教師が数学嫌いを量産するのかも



あとで読む

この前教えていた生徒との会話。高校1年生。

 

「この前先生が、『お前らの書いているxはxじゃない、カイだから数学的に正しくない』と言い出したんです」

「カイ?」

脳内の予測変換機能を総動員しても、カイってのが何を言っていることなのかわからなかった。方程式の「解」?

「ギリシャ文字のカイだそうです」

そう言って見せてくれた教科書には確かにギリシャ文字の「カイ」が書いてあった。

なるほどそのカイか。

 

「で、これがどうしたの?」

「それはxじゃなくてχで、お前らの書いてるxは間違ってるから、ここで直せ、って。でも3年間ずーっとこの書き方だったので、今さら書き方直すのも嫌なんです」

 

今日はこの話をする。

 

xかχか

f:id:zetakun:20170503031135p:plain

まあお分かりだと思うけど、左のxってのが教科書に載ってるx。右のほうはギリシャ文字のχ。

f:id:zetakun:20170503030511p:plain

生徒はこうやって書いてたけど、これは間違ってるらしい。ギリシャ文字のχだから。

だからこう書くべきだとか。

f:id:zetakun:20170503030619p:plain

こっちが「正しい」x(?)

 

厳密に言えばこの二つは使い分けなきゃいけない。iとlを使い分けるようにね。

問題は、「χというギリシャ文字が高校の範囲ではほとんど登場しない」ということだ。統計学や電磁気学ではれっきとした、地位を得た文字として登場するが、高校数学の範囲でχを使うことはまずない。

 

「それで、教科書は何て書いてあるの?」

「これが一番後ろに載ってる書き方一覧なんですけど、両方載ってるんです」

f:id:zetakun:20170503143404p:plain

「ほんとだ、両方載ってる」

「でも先生は右のほうは見なかったことにして、『ほら、教科書にもこう書いてあるじゃないか』って、左で書くように言いました」

「もうめちゃくちゃじゃん。めちゃくちゃ」

「めちゃくちゃ」

 

さて、3年間ずーっと書き続けた文字の書き方をいきなり訂正しろと言われて、すんなり受け入れられる人はどれくらいいるだろう。そもそも訂正するメリットは何だろう。

それを考える前に、まず背景から説明したい。

 

人によってまちまち

生徒の書き方は

f:id:zetakun:20170503030511p:plain

こっちだった。

これを暫定的に「カイ派」と呼ぶ。

先生のいう正しいxというのは、

f:id:zetakun:20170503030619p:plain

こっち。これを「エックス派」と呼ぶことにする。

 

カイかエックスかというのは実は人によって違う。だいたい4パターンに分類できそうだけど。

 

  • 1、最初からカイ派だった
  • 2、最初からエックス派だった
  • 3、カイ派だったけど途中からエックス派になった
  • 4、エックス派だったけど途中からカイ派になった

 

こういう風に分類したのは、教える側がどう書くかによって生徒の宗派?も分かれてしまうことを示したかったからだ。

例えばこの生徒は、1番のタイプ。3年間ずっとカイ派で習ってきたから、自分もカイ派だった。私は4番のタイプ。中学1年のときはエックスだったけど、2年生のときの先生が「カイ派だとすらすら書けるからこっちでもいいよ~」と言っていたのでカイ派に改宗?。

しかし私の友人にはもちろん、最初からエックスで習い続けたゆえ、エックス派のままという人も、カイって書いてたけどなんとなくエックスに直した人もいる。

その裏には先生の影響がある。しかし先生でさえどっちで書くか統一できていない。

 

それもそのはず、そもそも「どっちが正しいか」なんてのは決着が未だについてないのだ。

その証拠になっているのがさっきの教科書。

今年出版の第一学習社の1年生の教科書だけど、

f:id:zetakun:20170503143404p:plain

両方書いてあって、いかにも「両方とも正しいですよ」みたいな顔をしている。

f:id:zetakun:20170503144000p:plain

こっちはsとかtとか。どっちでもいいだろう。

 

「正しさ」の権化みたいな教科書でさえ両方を掲載しているのだから、カイ派かエックス派かなんて言い争いはもはや不毛ではないか。

ましてや理由も説明せず「お前らのxはエックスじゃなくてカイだ間違ってる」なんて言い切ってしまうのは不遜にも程がある……と、思う。

なぜなら、両方にメリット・デメリットがあるからだ。

 

書き方変えるメリット・デメリット

さて、今のところ正誤の問題は抜きにして、先生の言う通りに改宗?した場合どんなことがあるか考えてみよう。本当は先生が説明すべきだった。

表にまとめてみた。

 

f:id:zetakun:20170503153919p:plain

 

メリット

区別ができるというのは大きい。私はずっとカイ派だったので、モノホンのカイが登場したときはかなり面食らった。カイとエックスが同席しちゃうような場合、どう書き分けたらいいのかわからなくなる。まあそんな状況がないけど

 

そもそも高校数学の範囲ではカイを使わないこともあり、微妙。

大学に入ってからでもいいんじゃないかなとも思う。

 

次。

ベクトル表記というのはこれのこと。

f:id:zetakun:20170503154100p:plain

(https://physnotes.jp/foundations/b_al/)

高校まででは、例えばABというベクトルがあると、ABの上に右矢印をつけて、

f:id:zetakun:20170503154304p:plain

のようにあらわすのだが、大学からはこういう風には書かない。単文字の左側とかに線を引いて、変な表し方をする。慣れるとめっちゃ楽。

このとき、エックス派の人は割と簡単にエックスをベクトル表記できるが、カイはやりにくい(というか見づらい)。エックスのベクトル表記は結構頻繁にやるので困った。

エックス派が羨ましくなる。

……だが当然、これも高校ではやらないし習わないので微妙か。

 

次、先生に嫌われずに済む。これは後述。

 

デメリット

当然、書き方を変えるというのはそれまでに体に染みついたクセを矯正するということだ。皆さんは漢字の書き順の間違いを知っても、それから一定期間はなかなか直らなかったという経験がないだろうか。それは、今まで書いてきた書き順が頭に染みついてしまっているからだ。

それと同様、カイ派からエックス派への改宗は多大なる気持ち悪さと時間を必要にする。

 

答えだけエックス派で書けばよくね?という意見も出そうだが、高校数学は中学と違い、「答えを導出する過程」をより重視する。テストでは当然答えの導出過程(途中式)も書くわけで、間違っては直しを繰り返すことで時間を浪費してしまう。

じゃあ100回書いて染み込ませろと言われればそれまでだが、そこまでして矯正するメリットがあるようには、私は感じられない。

 

次。紛らわしい。

実はカイ派にはエックス派が知らないメリットがある。

確かにカイ派は本当のχを目にしたとき無力になるが、エックスは一目見たとき )( との区別をなかなか付けられない。

エックス派とて紛らわしさの呪縛からは逃れられないのだ。

しかもχが高校数学でほとんど使われない一方で、 )(  という「かっこ・かっこ閉じ」形式は頻繁に登場する。(x + 2 )( 3x + 4)のように。これを(x + 2x 3x + 4)と誤解して間違えることなんて結構ありそうだが、大丈夫なのだろうか。

 

読み間違いで答えを間違えるなんて一番あっちゃいけないことだ。

 

ノートの見栄えが悪くなる問題。

今までノートに書いてきたxを全てカイからエックスに書き換えるのは労力がかかるが、かといって書き換えないと見栄えが悪い。復習のさい何となくモヤモヤしたものを感じそうではある。

 

カイかエックスかは賛否両論

というように、それぞれにデメリットとメリットがあり、書き方の統一もできていないから、しょうがなく教科書も両方載せている。

このどちらかについて、「正しい」とか「間違っている」を決めることが不可能なのはおわかりいただけただろう。そんなのを決める時点で不毛、もはや数学の問題でさえない。

 

ところがこの先生がさらにまずかったのは、そういう背景とかメリットさえも説明せず、「こっちは正しくてこっちは間違ってる」と独善的に決めつけてしまったことだ。

生徒にしてみればただ変な書き方を押し付けられただけだし、それで従おうという気にもならないと思う(私ならならない)。

 

せめて両方の良さ悪さを説明したうえで、「俺はこっちのほうが望ましいと思うけど、別にテストで書いてもバツにはならないよ」と言うぐらいの寛容さはあってもよかったんじゃないか。

 

「丸付けしないぞ」という脅し

そこまで言うのなら生徒だって「あえてエックスじゃなくてカイを書き続ける」という反抗ができるだろうとお考えの皆さん。甘い。

 

この先生は私の予測をはるかに超えていた。

 

「それで、先生、こんなことを言いだしたんです」

「何?」

「『今、お前らにこうやって教えたからな。今度からは、俺の教えたエックスじゃなくてカイを書いてきた生徒のプリントは、俺は採点しないし、提出したことにもしない。数学的に正しいxを書いてこい』って」

はぁ~~~~!?!!?!??!!?

 

「もう呆れました。数学ってやっぱりつまらないんですね」

 

そこまでして自分の正しさを示したいか先公さんよ。

そもそも受験でどっちを書いても点数に何の影響もないものを、片方だけを間違っていると決めつけて「丸付けしないぞ」と脅す姿勢に、どんな正当性がある?

これはもはや数学ではない。

 

「……で、結局その先生はなんでそこまでしてエックスに拘るの?」

「自分が高校生のとき、そう教わったから、ってだけです。先生~、もうあの人の授業受けたくないです」

 

……もう何も言えねえ。

 

しかし、生徒にとってはどんなに理不尽なルールだろうと、通知表という制度で首根っこ掴まれているのだから、従わないわけにはいかない。

彼が推薦を受けるならなおさらだ。

しかもその数学の先生は彼の担任ときた。担任に嫌われていいことがあるはずがないから、ますます従わないわけにはいかなくなる。

 

 

一応、高校の定期試験は特定の生徒のエコヒイキを防ぐため、複数人の教員が同じ部屋に集まり、誰かが丸付けした答案を他の先生がチェックすることで、誤採点を防いでいる。

この高校が相当腐ってでもいない限り、エックスをカイと書いてたせいでバツとかサンカクになったのは他の先生が訂正するだろう。それに賭けるしかない。

 

数学は些末にこだわる学問ではない

以前、「掛け算の順番はどっちが正しいか」というのが問題になったが、向きが同じ問題なような気がする。いや、より些末というべきか。

かけ算の順序問題 - Wikipedia

 

数式と日本語の語順とを結びつけるというのは一見合理的で、「答えが同じでも式自体のもつ意味は違うんですよ。そういう見方は皮相的なんですよ」と言われれば納得してしまいそうな危うさがあるが、それだと別言語に翻訳したとき数式の順番が逆になりうることに対し、答えられない。

 

掛け算という演算自体は世界共通なのに、使うことばによって数式の「正しい」順序が変わるなんて、それこそナンセンスだと思う。

 

数学というのは表面的な違いを剥ぎ取って本質的に同じところのものを抽象化して表していく学問である。

グー・チョキ・パーと、キツネ・猟師・庄屋という表象的なことばを剥ぎ取り、その内部に共通する三すくみ構造と演算の対応関係を見出す……というようなものだ。

 

3×5も5×3も、「日本語の語順という表面的な違い」を剥ぎ取ってしまえば同じなのだ。難しい例えを出すなら、三角関数と指数関数が複素数という共通の本質を持つのに対し、「三角関数から導出したコレは駄目だけど、指数関数から導出すればOK」みたいな無意味さがある。

 

いや、無意味とまでは断言しないが、答えが等しい3×5がよくて5×3が駄目な理由を生徒に理解させるだけの合理的な理由と技量とがないばかりに、ただ単にその正しさを押し付けてしまっているだけ、なような気がする。これでは本末転倒だ。(つまりそれらがあれば別によいが)

 

エックスかカイか問題も同じだ。

結局それらの文字は、「未知数」という概念を表出させる記号そのものであり、本当ならエックスでもワイでもゼットでもアルファでもなんでもよいはずだ。それをたまたま「x」という文字に代表させているだけであって。

 

だから本来エックスに見えるかカイに見えるかというのは数学の本質(正しさ)なんかでは決してない。それは表面の問題であり、実用上の問題であり、単なる価値観・感性の問題だ。

極論を言うと、エックスと書いたつもりがカイであろうと、それは「カイ」という名前と形をした、「未知数という概念」に対応する文字なのだから、その二つが同居でもしない限り全く問題はないと思う。

よって、先生の言う「お前らの書くxはカイだから数学的に正しくない」ということばはブーメランだ。

 

本質に何ら当たらないばかりか、今回のように「数学ってのはそういうドーデモいいことを気にするつまらん学問なんだな」と思う生徒が増えることもありうる。

少なくともカイ派の生徒は先生の意見に対して理不尽や反感の念を覚えたのは間違いないだろうし、高校に入ってきたばかりの元・中学生に対する数学の洗礼の態度としては不適切だと思う。 

 

教える側がこんなので、生徒は数学が好きになるのか……?

私は好きにならないと思うがどうだろうか。

 

はぁ、疲れた。今度また進展があったら記事にします。なくても記事にするかも。