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ちしきよく。

雑多系ブログ。みなさんの「何かを知りたい!」という欲を叶えましょう。

私が見つけた「世界一怖いもの」を都会の人は一生知らないだろうな



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怖いのは幽霊でも炎上でもなかった

ぜーたです。去年の年末、自分の家を離れ、とある場所に行く機会を得ることができました。車は走らない、人も歩いてない、ましてやネット環境なんてあるはずない……という場所……まさに「陸の孤島」とか「残された日本最後の秘境」なんて言葉が似合うようなところでした。冗談抜きで。

そのため、このブログも予約投稿で投稿していました。コメントの返信が遅れて申し訳ありません。

 

さて、本題に入りましょう。

世界一怖いもの

みなさんは、「世界一怖いもの」と聞くと何を想像しますか?

人によっていろいろ答えはあると思います。

それが

幽霊

であったり、

ブログの炎上

であったり、はたまた

周りの人に嫌われること

だったり、

受験・テストに落ちること

あとは

留年すること

の人もいるだろうし、

ムカデ

を怖いと思う人もいるはずです。

しかし、私は先述の「人のいない環境」にて、とうとうこれだ!と思うようなものに出会うことができました。あ、タイトルはやっぱり煽ってるように聞こえますが、ムカデやら留年やらは怖くなんかねえよ!なんて否定してるわけじゃないので、そこは誤解なさらないように。

 

私が考える「世界一怖いもの」の答えはズバリ

 

 

f:id:zetakun:20170103203411j:plain

 

あ、中二病発症したぞコイツとか思ったそこのアナタ。ちょっと聴いてってくださいよ。まだ終わってません。

 

「暗闇」より怖いものはない

車もめったに走らない、人なんてまず通らない という環境はつまり、

周りに人が住んでいない

ということを意味します。なんですよ、一言で表せば。

周りに人が住んでいないということは(ごく一部の例外を除けば)

光がない

ということと同義でしょう。まあね、小難しく言わなくったって伝わります。

暗いんです。

 

私が泊まっていた家から20mも離れれば、そこにはもう光なんて見えません。月の光なんて、明かりをともすことに慣れてしまった現代人にしてみればまったく役に立たず、まあなんというか、「ほぼ真っ暗闇」だと考えて差し支えありませんでした。ちなみに私が暗闇散策した際は新月で、月明かりさえありませんでした。文字通りの暗闇。

 

とにかく何も見えない。見えない。

 

 

 

人間は周りから得る情報……言い換えれば、五感によって得る情報の80%~90%を「視覚」に頼っているという説があります。暗闇では、これが丸ごとなくなるのです。

 

 

『産業教育機器システム便覧』(教育機器編集委員会編 日科技連出版社 1972)
 p4に「図1.2 五感による知覚の割合」が掲載されている。
 上から「味覚1.0%、触覚 1.5%、臭覚 3.5%、聴覚 11.0%、視覚 83.0%」と図示されている。                    

『屋内照明のガイド』(照明学会編 電気書院 1980)
 p9に「表1-1 人間の5官の情報能力」が掲載されている。表中に、感覚の種類とそれぞれの情報能力の割合が図示されており、
 上から「視覚(目)87.0%、聴覚(耳)7.0%、嗅覚(鼻)3.5%、触覚(皮膚)1.5%、味覚(舌)1.0%」となっている。

http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000181979

 

これらの本自体がかなり古いので、8割9割が今のところ本当かどうかはわかりませんが、それでもかなりの情報を視覚に頼っているのは確かです。日常生活を送るうえで、鼻が利かなくても、味わえなくても、耳が聞こえなくても、かなり不便にはなりますがそれでも日常を送ることは不可能ではありません(障がい者の方を侮蔑する意図はありませんのでご了承ください、あくまで例として挙げたまでです)。

しかし、普通の人が、突然目が全く見えなくなれば、自力だけで生活するのはほぼ不可能になってきます。横断歩道を歩いたり、障害物をよけたりすることさえままならず、スーパーに着いたとて、人に尋ねなくてはどこに何があるかさえわかりません。ネットサーフィンをしたり、本を読んだりもできません。

 

視覚というのは、それだけ日常で大きな役割を担っているのです。(逆に言えば、視覚障がい者の方々は、それだけ不便な生活を強いられているということになります。黄色ブロックの上にものを置いたり、彼らの道を塞いだり、横断歩道の通行を妨げたりしないようにしましょう)

 

 

話が少しそれました。暗闇の中にいるということは、私たちが大きく頼っている視覚をすべて失うことになります。

対して野生の生物……例えばネコは、桿体細胞(かんたいさいぼう)と呼ばれる、光を感知するための細胞が人間の数倍あり、網膜の後ろにある「タペタム」という器官で一度取り込んだ光をもう一度反射させ網膜に取り込んでいるので、暗いところでもものがよく見えます。小動物を暗闇で追いかけるのに適している目ですね。

 

残念ながら人間はそんな便利な目にはなっておらず、夜目がきくなんて言ってもネコやらキツネやらにはかなわない。ですから、暗闇において、人間はその(彼らと比較した際の)視力のよさやら色の感度のよさやらを生かすことはできません。ましてや、そこから何かを判断するなんて到底無理な話。

 

つまり、私としては、支えになっている足を突然取り外されたような気持ちになるわけです。情報の8割9割を得ていた視覚がなくなり、残りの1割ですべてを判断するのですから、この不安がわかりますでしょうか。

それはもう怖かったです。

 

暗闇を少し歩いてみた

で、死ぬほど怖かったというのはとりあえず置いといて。

ブログのネタにするために怖さを体験するために少し歩いてみました。

山の坂の途中に(私の泊まった)建物がありますので、下りは踏み外すと危ないと思い、数十mほど坂を上りました。

 

その感想をお伝えします。

まず。

いや、言うの3回目くらいですが、

道が見えないんですね。

なんにも、なんっにも見えません。これは想像できないと思いますが、暗いってのはそういうことです。ホントに見えないです。

これからどっちに歩けばいいのかわからない。

目を凝らしてみても全くわからないので、植木を触って、その木に沿って歩くしかありませんでした。段差やらデコボコで踏み外すかもしれないので、めちゃくちゃノソノソです。

異常が起こったのはこの後でした。

10mくらい歩いただろうな……というところで(たぶんそんなに歩いていない)、残された10%の情報を拾う器官……五感から視覚と味覚を抜いた3つが、危険信号を発するようになりました。

すなわち、

この暗闇には何かいるぞ

という警告です。具体的に言えば、ガサゴソと植木を触る手に虫が付いたような気がしたり、湿った土の中に血の臭いを嗅ぎ付けたり、葉どうしが擦れてざわめく音が怨嗟のこもった人の声に聞こえたり。

 

光がないという状態……暗闇という「概念」でしかなかったものがいまや私の周りに「実体」を伴って付きまといます。周りの木々だけでなく、森全体が一つの化け物のようにうごめいていました。木たちは穏やかなはずの風に揺さぶられ、共鳴しあい、どことなくくぐもった恨み・悲しみの声を私に届け続けています。耳にあたる微風さえ痛く感じられます。

 

そうすると、今度は「得られないはずの視覚情報」にノイズが混じるようになりました。このノイズはある意味「都会で暮らしていては絶対に得られない」ものであり、これまた具体的に言えば

暗闇の中に白い着物を着た女が立っている

という、日本人の幽霊へのステレオタイプ……まさに「幽霊が幽霊たる理由」を説明するかのようなものでした。暗闇に白って映えるんですよね。もう二度と味わいたくないけど。

 

私は最後の勇気(男気、ともいう)を振り絞り、ここで怖気づいてはブログのネタ男の矜持がすたる!と思い、

ウワアアアアアア

と叫びながら走りました。私が変人かどうかなんて別に良いのです。変人だったとしても、この声はそも、誰にも聞かれちゃいないのですから。

 

結局私は20mシャトルラン―80回目の時ぐらいの猛スピードで、なんとか往復して帰ってくることができました。今思えばたかだか30mしか歩いていないのですが、あの恐怖は二度と味わいたくないです。

 

暗闇の恐怖を味わう必要はあるか?

結局、ここなんですよね。忙しい生活に明け暮れる現代人にとって、もはや過去のものと化した「暗闇の恐怖」をわざわざ味わう必要はあるのか?と。

というのも、人間が火という光を手にしてからというもの、世界中を光で埋め尽くさんばかりの勢いで、現代人は光をともし続けています。あこがれの街・トーキョーなんて一日中眠りません。

 

電気でもって光をともし続けるのは当然「暗闇では何も見えないから」つまり「暗闇では生きづらいから」という理由でして、これは何の文句もない合理的な判断です。

人間が築き上げてきた文明なんて、その発展理由としてはたった一つ。

よりよく暮らすため

でしかないんですよね。ですから、文明に与って生きる我々が、わざわざ不便な環境である暗闇を体験する必要があるかといえば、大多数が「ない!」と即答するでしょう。

 

ですが私は早いうちにこれを体験することをお勧めします。特に、ポチれば即日で荷物が届く環境にいる方々や、眠らない街にお住まいの方々には。

 

暗闇を体験したほうがいい理由

まず、「文明のありがたさ」「光の心地よさ」を実感できます。一日中コンビニが明るくて、街灯がついている、というのは、心にかなり安心感を与えてくれます。震災で停電が続いた方々の夜は、さぞかし不安なものだったでしょう。

ですが、それが当たり前だと思う人のほうが多いというのは残念なことです。我々が当たり前のように腰をどかっと落ち着ける文明も、誰かの努力と資源によって成り立っているのだ、ということを実感できるはずです。そう、暗闇ならね。

 

もう一つが、「自分の脳なんてアテにならない」ということ。先述のように、得られるはずのない視覚からの情報に、なぜか変なノイズが混じりました。暗闇という特殊な環境に脳が慣れておらず、暴走したのでしょうか。

この暴走は暴走というよりむしろ正常な反応であり、「暗闇を恐いと感じる」本能に由来するものだと思われます。要するに、「自らを生きながらえさせるために、脳があえて『暗闇には何かがいるよ!』というメッセージを送っていてくれた」というわけです。実際、昔は暗闇には本当に何かがいたのでしょうし、進化論という考え方で見れば

 

暗闇を怖いと感じない人間が食われて滅んだ結果、暗闇を怖いと感じる人たちだけが生き残った

 

と考えることも可能です。

 ですが、そういう脳からの警告というのは真実からはかけ離れています。本当に幽霊なるものが存在して、いろんな人たちに見られていたのなら、信憑性のある論文が一つくらい見つかってもよいはずだからです。

 

私は『幽霊』が存在するならば、それは我々の頭の中にだけであり、幽霊という現象じたい、本能からの警告が生み出した『スナアラシ』のようなものだと考えるようになりました。

それを人々がまことしやかに語り継ぐ中で、幽霊という概念が生み出され、尾ひれがついて、共通項化されたのだと思います。

 

見たもの、感じたものだけを真実ととらえる考え方は結構行われてますが、自分の脳なんて、ぜんっぜんアテになんないです。

 

以上の二つがわかっただけでも、だいぶ大きな収穫でした。都会人のみなさん。

まずは遮光カーテンを買って、部屋の中を真っ暗にしてみては?

そこに何かを見いだせたのなら、それは幸せなことですよ。