ちしきよく。

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勉強に意味を感じない人のための処方箋



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これを読んで触発されたので、思っていたことを書きたい。

元エントリを勝手にまとめる。

 

勉強に意味なんて感じられないし、つまらない。

そしてそう思ってしまう自分にも劣等感がある。

でも昔は楽しかった。どうなっちゃったんだ

  

お節介にもほどがあるけど、これはえす氏だけじゃなくて、検索でここにたどり着くであろう方々にも言っておきたかったことなので、勝手にお節介させてもらう。余計なお世話とか言われても知らんぜ!

 

そもそも物事に「意味」なんてない

……と私は思っている。生きる意味も死ぬ意味も、この世に生まれてきた意味も、全て自分が勝手に解釈して、分かった気になっているだけだ。*1

そして「ちしきよく」というサイトを運営しつつこんなことを言うのはどうかと思うが、ぶっちゃけ「勉強の意味」なんてのも、ないんだよね。*2

考えたことはあるけど、考えるだけ不毛というか。

 

というかまあ私が懇々と意味を語ったところで、「勉強に意味なんてない」と思って検索してきた方とか、(勉強を「くだらないもの」と決めつけてしまっている)えす氏には届くことがない気がするので、今回はこっちの考察はしない。

 

しかし意味がないからといって、勉強が楽しくないわけではない。

むしろ「小中高、もっと勉強すればよかった」と後悔している*3から、そっちのほうからなら説明できるだろう。

 

なぜ勉強がつまらなく見えるのか

当方割と偏差値高め意識低めの大学に通う大学生であるが、様々だ。

勉強なんて意味ねえし~と口笛吹いて授業中にシャドバやってるカス大学生もいれば、授業を前のほうで受けている意識高い人もいる。

私はといえば、後ろのほうで授業を受けつつ、高校の現代社会や日本史を勉強するありさまなので、もう意識高いのか低いのかわからない。

 

でも私のような人間も、割と多いことと思う。 

勉強自体は得意だが、「勉強の意味」への答えは持っていない。

おそらく高学歴の人、受験で本気を出して臨んだ人にそういうのが多い気はするが、それでは彼らは一体何を目標に頑張ってきたのか。

 

 

ここに、勉強が得意な人、苦手な人の差が表れてるように実感する。

まず一つ目に、「成功体験」が多いか少ないか。

そして二つ目に、 「目的」があるかないか。

 

この二つが、得意か苦手かを分けている気がする。例外もあるけど。

 

むろんこれは他の事柄にも通用する、普遍的なことだろう。

 

成功体験の多寡

筋トレでいえば「体重が前より落ちた・増えた」「鏡にうつる自分がたくましくなった」「前より大きい負荷のをあげられるようになった」みたいな、「がんばった!!」が報われて「できた!!」になる瞬間が成功体験だ。

 

勝手にそう呼ばせてもらっているが、これはほんとに大事だと実感する。

全く体脂肪率も変わらないダイエットとか、全く筋肉量が変わらない筋トレとか、そんなものやる気がなくなるのと同じで、勉強だって、点数が変わらなかったり、問題が解けるようにならなかったりすれば、次第にやる気はそがれる。

 

えす氏の例でいえば恐らく「ブログ」だろうと思う。*4

全くPV数が上がらない。ブクマもつかない。誰も反応しない。

そんなブログを運営することを、3年も4年も続けられるだろうか。

私ならとても耐えられない。

 

多少何か、目に見える数字があってこそだ。

数字を気にせずにやれる人間が大成する、とはいうがそんなの所詮きれいごとで、

みんな「成果」がないとやる気がでないのである。

社会主義が盛り上がりに欠ける理由にも繋がっている気がする。

 

 

そしてえすさんの場合、「成果がない」ゆえに、勉強自体を「くだらないもの」「意味のないもの」と決めつけてかかっている、いわば「食わず嫌い」の状態になっているように思われる。

今が15歳としても、あと70年ぐらいはあるんだし、気軽にまた、始めてみてもいいと思う。もちろん、始めたくなったら、ね。

 

 

ただ、どこから始めるかは問題だ。

 

この前教えた中学三年の子は、数学どころか基本的な算数の知識がついていなかった。

具体的に言えば、正負の数以前、分数の足し算、引き算ができないような子だった。

だから私はまず「分数とは何であるか」を教えることに努めた。

最初は首をかしげていたその生徒も、段々と理解が進んでいき、それでようやく正負の数の説明を理解できるようになった、というぐらい……。正直疲れた。

 

勉強はたいてい……特に数学とか英語は……積み重ね式だ。

よくいうのが、土台のないところに家は建たない、ってやつ。

 

毛布の上に積み木を建てようとしても全然駄目で、次第にやる気をなくし、自暴自棄になっていく。こんなことをしても楽しくない、意味がない、こんな制度は滅びろ。そんな子を何人も見てきた。(つまりえす氏の悩みってすごく一般的なんですよ、そういう子めっちゃ来ます)

 

塾の講師や先生ができることは限られていて、結局自分でするしかないんだけど、「成功体験」の有無はやはり大きいなと実感する。

積み重ね式の教科においてはその傾向は強く、「わかる、できる、わかる、できる」の階段と、「わからない、できない、わからない、できない」の階段の両極端が形成されやすいように思われる。前者はできるしわかるから楽しくなり、後者はできないしわからないから楽しくない。

 

 

だからおすすめとして、まず「分からない範囲のギリギリからやり直す」ことをお勧めする。どこがわからないのかわからないなら、とりあえず問題を解くと良い。(学校のじゃなくて店で売ってる「わかりやすい」と評判の)教科書を読むといい。教科書は厳密だけど、ツマラナイ。

 

どこまでの範囲がわからないのか、解ける問題と解けない問題を区別していって確かめる。当然ながら学年をまたぐ必要も出てくるだろう。小学校のからやり直しになるかもしれない。

地味な作業であるが、これをするのとしないのとでは、楽しさが大分変っていく。

 

 

文字式の表し方がわからない子が方程式は解けない。だから文字式からやり直す。なぜ文字式が必要なのか、解説してくれるサイトを読む。わかった気になる。撃沈される。わかった気になる。そしてまた撃沈。

次第に何となくではあるが、「こういうもんかな?」という目星がつくようになる。

どうやって平仮名を覚えたか覚えてないように、いつの間にかそれが土台になって、勉強を後押ししてくれる。

わかった!できた!という経験と知識が勉強をより楽しいものにしてくれる。

 

これは間違いないだろう。

 

目的の有無

これもかなり大きい。にも関わらず勉強ではおろそかになっている。

目的のないダイエットが成功しにくいのと同様、勉強も目的があったほうがいい。

 

この問題の原因は当然ながら勉強が半強制的なものであることだろう。テストで尻を叩かれ、火がついた生徒たちは無心で学ぶことを強いられる。*5

その一方でそれについていけなくなった人達が、不登校になったり非行をしたりする。自分の価値が勉強以外のどこかに見いだせればよいのだが、不安定で多感な時期にそれも難しい。

社会から学校から一方的な戦力外通告を受けた気になり、ふさぎ込んでしまうのだ。*6

 

学び直す人はより一層、「なぜ自分が勉強するのか」を明確にしてみよう。

 

えす氏の場合であれば「高校卒業」だろうか。ということはその目前、小目標たちである「レポート提出」が目的となる。

ぶっちゃけ高校のレベルがわからんから何とも言えないが、卒業するだけならいくらでもやりようはある。それこそ退屈で苦痛な勉強キャスとやらで。

 

ただし楽しく学びたい、というのなら、相応のところからやり直す必要はあるだろう。中学三年程度の知識なら、「二次方程式」「三平方の定理」「受け身の表現」ぐらいは欲しい。

 

それをせずに「楽しくない」「今の制度はどうかしてる」「どうせ自分は落ちこぼれだ」と言っていても、そりゃあなあ、という感想である、正直……。

塾の生徒にも何人かいるが、開き直ったり自虐したり他人に転嫁したりすると、成長が困難に思われるがどうだろうか。

一か月でも一週間でもいい、向き合いたくなったときに、本気で向き合ってみようじゃないか。

 

それも厳しいなら、それより前に戻って、

「とりあえず中学一年・二年の勉強を完璧にする!!」と決めて、レポートは勉強キャスで教えてもらうカタチにすれば、十分に間に合う。*7

 

そして目標設定にはいくつかの段階があるのが好ましい。

最初から5メートルの壁は登れないから、階段状にするのである。

「今日はここを完璧にするぞ」「明日は方程式を理解する!」

そう決めたらもうそれ以外はやらないし、それ以上もやらない。最初からがっついたら疲れるから。

ちなみにテストの点を目標にするのは一長一短で、点数が上がれば確かにやる気は出るが、下がっちゃったりすると精神衛生上よくない。個人的にはおすすめしない。

 

そうすれば一番目に言った「わかる!できる!」の成功体験も得やすくなる。報酬系が刺激される。勉強が楽しくなる。これ、ほんとの話。

 

以上、成功体験と目的意識の差は、私が浪人生十人ぐらいに聞いて回ったことなので、かなり信憑性があるだろう。

 

病みそうになったら運動をしよう!

浪人生の人達が口々に言っていたのはこれだ。ある意味さっきの二つより大事。

部屋にずっと引きこもっていたり、机に向かっていたりすると、人間絶対に病む。

私もカーテン閉め切った部屋にいて書いた記事は、やけにとげとげしくて暗くなっていると実感する。

そういう時は腕立て伏せだ。スクワットだ。腹筋だ。

とりあえず息を切らそう。息を切らせば考える余裕がなくなる。

心地よい疲労は人間を良質にする。

理想的には夜中に絶対目が覚めないぐらいの疲労感が残る運動をしたい。

 

勉強は頭だけの問題ではない、勉強を可能にする体と心の健康も必須なのである。

そういう私は受験期に遺書を書いて、落ちた後のことまでちゃんと考えていたんだから、よく持ったなあと思う。

 

結論~勉強は楽しくなるはずだし、楽しくできるはずだ~

私が言いたかったのは結局これ。わずか15歳そこらで勉強を見限らないでほしい。

若さは有限だが、勉強をすれば無限に豊穣な可能性を手にすることができる。しかも年齢関係ない。いつからでも始めることができる。

非常にありきたりになってしまったが、言いたいことはこれだけだ。

勉強を見限るには若すぎる。ここから「ほどほどに勉強楽しいね!」ぐらいになれば、より開けた未来が待っているだろう。やりたくなったとき、向かい合う覚悟ができたとき、これをまた読んでほしいと思う。

*1:別に「あるぞ!!」と力説されるのは構わないが、それを押し付けるのはやめてほしいと思う……

*2:勉強をする「根源的な意味」、つまり真理のことであって、目的ならいくらでも見つけ出せるだろう。

*3:参考までであるが、それを友人に言うと「お前がかよ」と言われるぐらいには、大学でも勉強しているつもりである

*4:勝手に分析してますすみません

*5:だれうまだが、「勉めるを強いる」と書いて勉強らしい……もちろん冗談だよ

*6:運動オンチな私が体育大学に行ったらたぶんこうなりそうである……

*7:暇なときはキャス行きますんで連絡してください