ちしきよく。

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え?シチューっておかずにならないの?なるでしょ



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なるよね、なるよね、みんな。

 

 

この前レストランに行ったらメニューにシチューがあってさ。

友人と話したわけ。

 

「シチューってご飯と絡めて食うとめっちゃ旨いよな」って。

そしたら、

『なんだお前 異星人か』みたいな目で見られて。

 

半歩くらい遅れて、「は?」って。

は?じゃねえよ。

 

「いやいや、おかずなるでしょ!シチューは!」

って力説したんだけども、もはや私を見る目が異星人を見るそれに変わっててさ。

 

で、悔しくてたまらないから家に帰って調べたわけ。

そしたらまあ、出てくるわ出てくるわ。

 

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なんで軒並み「ならない派」なんだよ。

なるでしょそこは!カレーがおかずになるならシチューもなるでしょ!

 

ということで、今回は食の常識というか、マナーとはまたちょっと違う、食の偏向?好み?について、つらつら語っていきたい。

 

大阪出身のTくん「たこ焼きは云々」

私は平気でたこ焼きをおかずに出来る人なんだけども、以前の飲み会で大阪出身のTくんが言った「たこ焼きはおかずになる」という意見で場が真っ二つに。

どうやらならない人のほうが多いらしい。

意見が割れたせいで楽しい宴の席が阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。

こらそこ吐かない。

最終的に食の言論モンスターことM君の独壇場で、結局「ならない」に決まってしまったことがある。どうでもええわ。

 

同じく食のオピニオン怪物こと私は、「めっちゃ声がでかい奴がウェディングのバイトに入ってきたせいで、式場に『うぇーい!!』の声が響き渡ってしまう」という友人の話を爆笑しながら聞いていたので、全然参加してなかったんだけど。

 

きっと、彼が大阪出身だからというのはあるだろう。

某ケンミンショーでは「大阪人はお好み焼きやたこ焼きをおかずにできる」という、ホンマかいな案件を耳にする。

食の好みというのは、当たり前の話だけど、育ってきた土地に大きく影響されるのだろう。

 

愛媛出身のOくん「みかんごはんは云々」

かと思えば。

愛媛出身、実家からリットル単位でポンジュースが毎月届くOくんは、以前こういうことを言っていた。

 

「愛媛には『みかんごはん』なる給食メニューがあって、その日は毎月地獄だった」と。

 

みかんごはんというのは、簡単にいえば「米をみかん果汁で炊いた」という料理のことだ。オエー!

 

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私は、

「え?愛媛県民ってポンジュースが好きなんじゃないの?ごはんでもいけるかと思ってた」と答えたが、そうではないらしい。

いわく、

「確かにごはんもポンジュースも好きだけど、それ混ぜられると困る」

と。

 

ということは、確かに住んできた地域には影響されるけども、ある程度の限界みたいなものがあって、それを超えるとみんなに許容されなくなる……ということなのだろうか?

さすがに愛媛県民といえども、みかん果汁で米を炊かれると困るのか。

 

「先生も残してたよ」というあたり、やはり流石なのだろう。

 

うどんをおかずにできるYくん

と思えばもっと強敵がいたのだった。

Yくんはうどんをもおかずにできる。

私がそれを見たのは学食だった。

 

自分の家で炊いて持ってきたご飯は、丁寧にもタッパーに詰められていた。

 

他の友人からも私からも

「いや待てお前、今日うどんじゃん」と突っ込みを食らっていたのだが、Yくんは

「だから何?」

みたいな顔をしながら、うどんの麺をご飯に乗せて一緒に食べている。

 

せめてダシとか使えよ!と全力で叫びたくなったが、彼は本気らしい。

いわく 

「小さい頃からそうだったから、何の違和感もない」

とのこと。どういう家庭なんだ……。

 

大事なのは、彼が小さい頃からそうしているおかげで、「食の常識」みたいなものが、他の人とはずいぶんかけ離れていること。

それが良いとか悪いとかじゃなく、「食というのは家庭環境によっても大きく好みが変わり得る」という、重要な事実を示唆しているように思われる。

 

もとはと言えば、うちも確かにシチューにはご飯みたいな感じだったから、今でもおかずになるのかも。

 

焼きそばパンをおかずにできるMくん

中学校のときの友人の話。

購買部で買ってきた焼きそばパンを片手に、それにかじりつきながらご飯を食べる……という、悪魔や閻魔様や石塚英彦もびっくり「炭水化物祭り」状態。

 

麺・パン・ご飯と全てを兼ね備える布陣に死角はなし。

「食の三種の神器や~」という声が脳内再生された。

 

余談だが、彼は太っていた。

 

好みは何に影響されるか

音楽の好みならば、「親や友人に影響を受ける」と言ってよい。

私の友人に、中学生のころから浜田省吾(ハマショー)が好きな奴がいる。

それは親が車でよく聴いていたからであり、「親が好きじゃなかったら聴いてなかった」とも言っていた。

そして、そんな彼と出会った私まで、浜田省吾が好きになってしまったのだ。

 

で、私はというと、親がELTをずっと聴いていたので、私自身もELTが好きである。

よく「古くない?」と言われるが、うるせえタコ野郎。

 

だが食となると事情は異なってくる。

なぜならば、食は音楽以上に我々の身近にあるからだ。

そして、幼少時代の食が、それからの人生にも影響を与える……ということは、体感的にわかる、ほぼ事実みたいなものであろう。

 

小さい時に〇〇を食べさせられすぎて、〇〇が嫌いになった

とか、

小さい時、テストを頑張ったごほうびに〇〇を作ってもらっていたから、今でも〇〇が好き

とか、そんなのは枚挙に暇がない。

 

 

保健体育の先生で、「小さい頃から死ぬほどミートボールが好きだった」って人がいたっけな。その先生は、一人暮らしし始めてから、初任給で買った「箱買いミートボール」を食べて、飽きて嫌いになっちゃったらしいけど。

 

 

まあともかく、親の作る料理だとか、親の出す献立の組み合わせによって、好みが大きく変わってくる……というのは、世界のいろんな文化を見ててもわかる。

だいたいの人は、「自分たちの国の料理が世界一だ」と、思っているものなのだ。

私は、自分の母親の作る料理が世界一だと思っているが、同じように思う人は世界にきっと沢山いるだろう。

 

 

家庭内での食の好みの違い問題はかなり大きい

であれば、そこからの推論として、

「食の好みが全く違う相手と同じ家庭にいるのは、けっこう大変だ」ということがわかるんじゃないか。

 

 

目玉焼きにかけるのはソースか醤油か、とか、

シチューはおかずになるのか、

みたいな、「他人からしたらどうでもいいけど、その家庭内では全然どうでもよくない」という問題が勃発しがちなのも、やはり食である。

何度も言うが、食べるというのは生活に深く根付いているからだ。

自分の嫌いな料理を三食出され、あげく相手がおいしそうに頬張っていれば、誰だっていつか嫌になるに違いない。

 

 

それをうまく言い表しているのが、山崎まさよしの「セロリ」である。

 

育ってきた環境が違うから 価値観はイナメナイ

夏が駄目だったり セロリが好きだったり するのね

 

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実家でセロリを栽培していて、「セロリがおかずになる」T君の話はおいといて、彼がセロリを選んだのは、この野菜に「かなり好き嫌いがはっきり分かれる」という属性があるからだと思われる。

 

セロリを食べたことがある人なら、ほぼ間違いなく「好き」か「嫌い」かのどちらかに分かれるものだ。私は嫌い派だけど。

 

わざわざ野菜の名前を曲につけるところが素晴らしいと思うし、そんな細かいことを歌にことばにしてしまう感性にも驚きだ。

 

 

結論として。

結論として言えること。

シチューがおかずになるかならないか問題は、「食の好みがなぜ分かれるのか」という、どうでもいいけども割と大事な問いを孕んでいる。

 

その答えをここでは「育ってきた環境の違い」とし、記事を締めくくらせてもらう。

 

でもやっぱり、シチューはおかずになると思うんだけどなぁ……。

 

アナタは、どう思います?