ちしきよく。

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貼りついた笑顔の仮面が取れなくなった



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「笑」のイラスト文字

どうも、最近テスト勉強のせいでブログ書く時間がないぜーたです。

 

現実生活の私をご存じの方でブログを読んでおられる方はきっと知ってることなんだろうけど(ほとんどいないか)、私はだいたいいつも笑顔を絶やさない。

というのは当然、授業中でもお風呂でも常にニヤニヤニコニコしているという意味ではない。

人と話すときに笑顔が絶えない……という意味だ。深刻そうな話のときにはさすがに打ち切るけど。

 

でも、この性格がもともとそうだったわけではなく、本来は自分の真意を悟られないようにするための防衛術だった。

まあー、あれだ。闇の魔術に対する防衛術、的な。

 

前に書いた気もするが、私の小学校中学校はけっこう壮絶だったので、嫌がってるとか悟られたら終わりなのだ。

そういうわけで、何を言われてもだいたい冗談で済ますし、済ませるぐらいの強い心臓は手に出来たが、今度はいつの間にかその笑顔が貼りついて取れなくなった。

 

作り笑いをしすぎるせいで、逆に「心から笑った」という経験を最近いつしただろうか……と、ふと悲しくなってしまう。

 

 

 

笑顔の9割は嘘、1割は本当

というのは、少しシニカルな私の友人が言っていた世迷い事だ。

実際そうなのかもしれない。

 

以前、「子どもは1日に400回笑うけど、大人は1日15回だけ」みたいなCMが流れていた。

www.youtube.com

 

たぶんあながち間違ってないし、人前で見せるその15回のうち1回でも本当の笑いはあるだろうか。

 

ないんじゃないかな、と最近は思っている。

 

なぜなら顔に笑顔が仮面みたいに貼りついてしまったせいで、本当の笑いを忘れてしまったからだ。

こんなことリアルじゃ臭すぎて言えないけど、子供の頃の「無邪気な笑い」なるものを一種の理想状態、撞着してすぐさま滑り込んでくるノスタルジイとして想定してみると、自分の1日15回にも届かない笑いはそれには程遠い。

 

強いて言えばナイトビジョンのように、心の隙間に入り込んできた感情のわずかな高ぶりを無理やり増幅して、顔という投影装置に映し込んでいるだけだ。

だから、本気で涙を流して笑ったことなんてのはもってのほかだし、その他の笑いというものも大概は作り笑い、だと思う。もうわからない。

 

 

作り笑いでも相手が幸せになるなら

それでも、私はいいんじゃないかな、と開き直りつつある。

 

「お前は本当によく笑うな」とはきっと100回ぐらい言われてきた。まじめに。

作り笑いか本当の笑いか自分でもわからないのだから、他人が見てそれが本当かどうかなんて見破れるはずがない。

演技をし続けた結果、自分の人格がどっちだったのかわからなくなる、おマヌケな役者に似ている。そういう話もあったような、なかったような。

 

でも、一緒にいてムスッとしている人と、いつも笑っている人とでは、きっと後者とみんな付き合うだろう。少なくとも。なら、それでいいんじゃないか。

闇の魔術に対する防衛術は意外にもこういうところで花を咲かせていた。

 

これで本当に良いのだろうか

がしかし、これで本当に良いのかという気持ちも半分、いや5分の1ぐらいはある。

打ち解けた友人との会話でさえこうなのだから、上司の下らない自慢話や夢の話では、きっともっとひどいのではないか。

増幅させるための感情さえないから、表情筋を無理やり可動域限界まで伸ばして、ザ・笑顔 みたいな表情を作るのだろう、たぶん。

 

まだそういう話をされたことがない私にとっては、これ以上突き詰めると本当に笑いという感情を忘れてしまう気がして怖いのだ。

まあ後述する理由で忘れることはない、と思うんだけど。

 

一人の時に笑えばそれでいい……?

今まで話してきたのは全部「人前で」の話だ。

友達や先輩に対して笑いを作っているから、面白いって感情もなくなるんじゃないかなってのがまとめ。

でもこれは人前でのものに過ぎない。私はこういうイタいことを書いてるけど別に中二病ではないし、実際にはちゃんと心の底から笑っている。(と思っている)面白いって感情じたいは失っていない。

 

それはいつかというと、一人のときだ。

(逆に一人のときでさえ笑顔が全くなければ、たぶん相当ヤバいのだろう)

 

 

某東北出身の「ちょっと何言ってるかわからない」の人達のコントを見たり、twitterの面白い動画を見たり、皆さんのブログとかブクマを読んだりしている時だけは、日常の人間関係の些事から解放された気分になる。

汗で張り付いたシャツを脱いだときのような気持ちだ。

 

 

最近はid:dogear1988さんのブログを訪問することが多い。

dogear.hatenablog.com

読者が400人越えなのでまあまあ有名だとは思うが、勝手に紹介させてください。

気に障ったようなら消しますが。

 

彼のブログははてな界隈でもたぶんかなり特殊で、自分の食事とか花を撮影して毎日アップしておられる。

食事はまあ……ご覧になればわかるが、スタバだったり野菜だったりドーナツだったり弁当だったりだし、花も、詳しくない私にとっては「花だな」で終わるものだ。

 

それでも、dogear1988さんという人間が健康に一日を過ごし、花を愛でながら生活しておられるのだな……という事実を実感し、まことに身勝手ながら安心することが多い。顔が見えない分こういうことに弱いのだ、私は。

 

だからこれからも更新お願いしますね。

 

これはどっちかというと「安堵の笑顔」か。面白くて出る笑いというより。

 

面白いほうの笑いで言うならば……誰だろう、本気で笑って涙が出たのは某下ネタブロガーさんの記事だったけど、もうおやめになったしなあ。王道中の王道だけどもid:Arufaさんのは毎回毎回笑いが止まらなくなる。授業中も発作が起こったりする。

たいてい読むのが23時とかだからきっと近所迷惑だろうな。ご近所さんにはすみません。

 

この前めちゃくちゃ笑ったのは、とある大先生がいつもおっしゃる「睡眠・運動・瞑想・野菜350g」を略した便利な四字熟語が生まれたときだったか。

彼自身の機関銃のような罵倒もまた見ていて気持ちが良いので笑ってしまう。

 

 

そのゴロの良さに笑ってしまった。今では辞書登録して使ってます。

NHKスペシャルで話題の“マインドフルネス瞑想” 「安易な瞑想は危険」との指摘も (デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

睡運瞑菜の中でも瞑想の難易度は高め。身体感覚や身体症状を気にしがちな人が瞑想時に身体感覚に注意を向けてしまい症状悪化しちゃうパターンにも注意が必要

2016/11/25 17:59

b.hatena.ne.jp

 

睡運瞑菜! 

 

 

例外・子どもたちと接するとき

ただもう一つ例外があって、それは「塾で子どもたちと接するとき」だ。全くすれたところがない彼らと接しているときだけは、人前だけども笑うことができる。

これはきっと、向こうが「作り笑い」という概念を知らないがゆえの自然な笑いなのだろう。互いに気を遣って笑いを作るのが社会人だとすれば、小学生って自分が面白くないとあまり笑おうとはしないから、こっちもそのスタンスで臨むことができるのだ。

 

この前涙が出るほど笑ったのは、宿題をやってきていないH君のことで。

小学4年生。

彼に「どうして宿題をやってきてないの?」と尋ねたところ、

「現代はストレスが多いですから……」

って悟ったように言うからおかしくておかしくて、授業中なのに笑いが止まらなくなった。向こうはどうして笑ってるのかわからなかったみたいだけど。

 

あとは、運動会で応援団長をしているらしいK君。彼は小学6年生。

「ダンスを小学5年生に教えているけど、全然覚えてくれない。

もう練習の見通しが立たない

「計画がぐちゃぐちゃだ」とかならまだわかるけど、「見通しが立たない」って政治家みたいなことば使うかなぁ。面白くてこっちも笑ってしまった。

 

あーあ、社会に出たくねえな。いっそのこと、ライ麦畑から落ちそうな子どもたちを助ける仕事にでも就きたいな。赤いキャップ帽かぶってさ。お気に入りのレコード持ってさ。

 

そういうわけで、ネット世界と子ども世界の中では、私は本当の笑顔を取り戻すことができる。まだ救いの手はあるかもしれない。……というだけの話。

これが社会に出たらきっと話は別なんだろうな。はたして1日1回も笑うだろうか。

 

あなたはどうですか。ちゃんと、笑えてますか。

 

社会人の皆さんからのお話を伺いたいので、コメ欄やブクマにどしどしどうぞ。

要望があれば、小学生の言動でおかしかったものも別記事にしてまとめますよ。

笑いを少しでも提供できれば幸せです。