ちしきよく。

雑多系ブログ。みなさんの「何かを知りたい!」という欲を叶えましょう。

文章が長くなるのはどうすりゃいいんだ



あとで読む

先日、こういうコメントを頂いた。

 

この方は「読むのに疲れた」ということを、私にそれほど伝えたかったのだろうか……

 

原付を煽るのは確かに危ないですよね~ 自分も気をつけます! すみません、途中から読むの疲れて飛ばしちゃいました!

 

 まあ……なんというか、「だろうな。」という感想である(すみません)。

 

素直なところ、自分の4000~5000字の駄文を読んでくれる人なんて、友人以外にはいないと思っている。

(まああの記事は検索向けだから長いってのもあるが)

 

そーいうわけで、実は書いている時でさえ、「なんかもうちょっと削れるよなココ」とか「こんなん誰が読むんや」なんて思ってたりも、するのである。

今も思っている。

 

 

曲解対策としての長文化

でも、一概に短いのが良いとも言えないと思う。

私がこういうクドクドしい文章を書くのは、私の文章力なさゆえだけではない。

 

つまり、意図的にくどく書いている。

 

何かというと、それは「曲解を防ぐため」というか、『曲解されて叩くのを防ぐため』だ。

まああれだ、何かのサイトに会員登録するとき、規約に同意しないと先に進めないようになっているが、あの「規約」みたいなもん。

 

何か言われたときも、「いやここにこうやって書いてましたよね、あなた同意しましたよね」と言えるようになっている……のだろう。

 

 

例えばだが、賛否両論がありそうな記事を書いたとしよう。

この場合、叩かれるのを防ぎたければ、最も楽な方法は、

「両方の立場から書く」ことである。

(そんな記事を読みたいかどうかは別として)

 

 

 例えば「百田尚樹の『永遠の0』が戦争賛美かどうか」

というような、いかにも燃えやすそうな話題について扱うとする。

 

この場合、「戦争賛美だ派」の立場だけで書くと、そうでない人から総ツッコミを食らうし、「戦争反対だ派」だけで書けば、そうでない人からスカンを食らう。

何が言いたいかというと、人間は自分が思ってる以上に、「誰が」「どんな立場から」「どういうカンジの論を」言っているか、しか見ていない、ということ。一見緻密な論理の穴を見抜く強豪ブクマカーの方々でさえ、傍目にはその枠から抜け出せていない時がある。

 

初めに目に入ってきた文字で、「コイツ、戦争賛美派だな」と思えば、後の文章は全部網膜の上を滑っていくか、もしくは、その人を叩くための格好の材料を探す場になる。

 

 

しかし、なるたけこれを防ぐ方法がある。

それが、「両方の立場から書く」ということ。

つまり、『私は戦争賛美派ですけど、反対派の人からはこういう反論があります、その反論のうち〇〇は××という根拠であまり正当じゃないけど、▽▽はかなり的を射ています』というように。

 

こうすることで、どっちかの立場の方に、「立場が違う」という理由だけで叩かれることもなくなるし、もし叩かれたとしても「いーや、こっちにこうやって書いてましたけど?ちゃんと読みました?」と言って、煽り言い逃れ言い訳言い分が立つのである。

 

 

そういうわけで、必然的に文章が長くなってしまう。 

 

しかしもう一つの目的もある。

 

傷つけぬための長文化

一見して複雑に光を屈折して輝く美しいガラスの破片が時に誰かを傷つけるように、ネットに流した言論は、電子の海を駆け巡り、遠い地の誰かにメッセージボトルとして届いて、その人の心を深くえぐるのかもしれない。

それは私の望むことではないが、同時に、知ったことではない。

 

以前、「こういう感じの文章って読みにくいよね~」というような記事を書いたとき、「こういう文章しか書けない障がい者の方にももう少し配慮してほしかった」というような旨のコメントを頂き、非常に申し訳なかったことがある。

当然、例えば「こういう文章は障がい者しか書かねえからやめろ」とか、「頭ダイジョブ?」なんて、極端なことを書いたわけではない。

 

しかし一読者にとって、私の文字が濛々とした黒色沈殿となり、心にとどまっていたのは確かだ。

 

そういう人をできるだけ減らし、「自分はあなたに敵意があるわけではないよ」ということを示したいのも、大きな目的である。

そのためには、相手を傷つける意図がないことを、再三言うしかない。

さっきも書いたように、だいたいは流し読みしかしないのだから。

 

 

誰も傷つけないなんて難しいが、単純なことばでグサグサ言い切るより、長ったらしく書いたほうが、まだマシじゃないかな?と思ったゆえの長文化だ。

ましてや、『〇〇なんてアホとしか思えない』『〇〇しない奴はバカ』というような単調な煽りでは、人に伝わるはずがない、と私は思う。

 

巷ではブクマやPVを集めるコツとして伝授されているようだが、お天道様に顔向けできない稼ぎ方はしたくない。

 

 

……というのは理想論として、この理想を実践できているかも自信がない。

実際にはこうである。

私の文章の例

普段からお読みの方は気づくと思うが、私の文章はこんな感じである。

 

  • AというのはBの状況下では基本的にないと言っていい。
  • ただし、Bの状況下であっても、Cの場合はAがありうる。
  • しかし、Cの状況下でも、Dの場合ならばAはない。

 

これは確かに「緻密」「論理的」かもしれないが、クレームを避けるため、「そんな状況ねーよ!」という状況までを、長々しく記述してしまっている。

 

この視点から見れば、むしろ初期の、「書きたいこと自由に書いてた」時のほうが、優れている。

 

 長いのは読みたくない!ってのが本音

ところであなたにお尋ねしたいのだが、自分の意見の密度がないクドクドした4000、5000文字を、果たして読みたいと思うだろうか。

 

大して興味もない一ブロガーの文章を読んでいられるほどあなたは暇ではない。

現に、こうしているうちに時間は一刻一刻過ぎてゆき、心臓という名の時計が、鼓動という名の針によって、酸素という毒を体に回し続けているだろう。

 

しかし、ずいぶん長い間ゲームをしているな。他にすることはないのか。まったく…。

 

というのは、MGS2の少佐の迷言であるが、まさにそうだ。

 

人間が本当に読みたいのは、長ったらしい法律だとか規約だとか数学の教科書みたいな文章ではなく、一存在が自分の心の鬱屈した感情を晴らすために書く、ザ・駄文と呼ばれる類の文章ではないだろうか。

 

もしくは、知っていても何の訳にも立たないが、知っているだけで何かどや顔ができるような、ザ・ムダ知識というたぐいの文章ではないだろうか。

 

書きたいこと書いてりゃいい、というわけではないが、今の私は雁字搦めになりすぎているような気がする。

 

 

そういうわけで、ちょっとだけ原点回帰して、自分の伝えたいことをまず明確にする、というのを意識して、文章をスリムにし、読む人が満足して帰っていくようなブログに育て上げたい、というのが、今の本音だ。

足が竦んでいるといつまでも行動できないから、どこかでシロクロつけようと思う。

 

何か、アドバイス等あったら、助言願いたい。

 

 

ここまででおよそ2800字。

これを長いと思えるまでには、もう少しかかるか……。