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ちしきよく。

雑多系ブログ。みなさんの「何かを知りたい!」という欲を叶えましょう。

「他人を尊重する」って、実はそんなに難しいことじゃないと思うんだ



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「他人を尊重する」とは

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以前からだいぶ間が空いた気がしますが、とりあえずおさらい。

 

www.chishikiyoku.com

 差別というのが現に歴史で、また他の生物の間で起こっていること。

心理学から見ても、人間が差別をするのはごく当然であること。

この二つを書きました。

しかし、そういう現実だけ伝えても「だから何だよ」となっちゃうので、今回は差別をなくすための個人的努力を話していきましょう。

理解できない人種

 私たちにはそれぞれ「理解できない人種」というのが存在します。ここでいう人種は当然白人・黒人・黄色人というくくりではなく、

 

どういう性格で、どういうふるまいで、どういう趣味か

などを含む非常に大雑把なくくりです。例えば私の理解できない人種を挙げるとすれば……やっぱやめときます。読者にそういう方がいたら悲しいでしょうから。

例えば、

人の悪口ばっか言っている人

押しつけがましい人

アニメが好きな人

靴に対して尋常でないこだわりを持つ人

字が下手な人

など。これは私の「理解できない人種」の例ではありません。あくまでそういう例を出しただけですので、傷つかないよう。

で、こういう理解できない人種は人口の分だけ存在します。70億いれば70億の

「理解できない人種」があるのです。だから、自分のような人間が地球の誰かに「理解できない人種」にカウントされていたとしても、何ら不思議なことではないでしょう。

 

理解できないことは悪いこと?

むしろ、

理解できないこと自体は悪ではない

 という考え方が広まっていないことのほうが私は心配。

小学校の道徳で学ぶような差別問題には、そういう配慮が欠けているように思われます。

他人を理解できないこと=悪

という単純な方程式は、確かにわかりやすいです。だって、全員が全員互いのことをわかりあえば差別なんてすぐになくなりますから。

でも、そんなことが現実に可能のようには思われない。誰にだって理解できないことはあるし、そもそもそんなすぐに理解できていたら喧嘩も離婚も戦争もなくなるはず。

実際になくなっていないということは、やはり「わかりあう」というのが人間はあまり得意ではないのかもしれない。

「わかりあえ」と、小学校の道徳だから理想を語って良いのだ、で済むでしょうか。

その理想は何の役にも立たないばかりか、世の中の「わかりやすさ論」に拍車をかけている。分かり合わないのは悪いことだなんて決めつけて、単純にしようとしている。

私たちが永遠にわかりあえないという現実をいい加減認めませんか。わかりあえないから差別が起こる。価値観に感情を持ち込むから差別が起きる。

こんなのは大昔から何度も何度も語られ、言い尽くされています。それは歴史と遺伝子が物語っている。

私たちは、根本のところから理解しあえないのだ、と。

そう認めるしかないのです。

生まれた国、貧富の差、家庭環境、それぞれ70億通りあるのだから、70億の考え方があって然り。合う合わないがあるのはもっと当然。

 

ですが、理解し合えないからと言ってそれを放棄してしまうのはとても惜しい。自分への理解者で周りを固めるのは自由ですが、それってやっぱり面白くない。何より、自分が差別される側に回れば、とても苦しくなってしまう。

だからこそですよ。だからこそ、今

他人を尊重する

という時代がやってきているのではないかと。

 

他人を尊重するには

私はこの言葉が大嫌いでした。なんだかふわっとしていて、それでいて都合がよい。道徳の授業ではとりあえずこれ書いてました。本当の「尊重」の意味なんて考えもしなかったのに。とかく作為的に使われがちな言葉なので、私のスタイルをはっきり表明しておきます。

他人を尊重するとは、

他人を理解しようと努力すること

ではない。(ここ誤解されがちです)

理解できないなりに、その存在を認めることなのだ

と。

先ほども言ったように、すべての人がすべての人を理解できないというのはもう、差別が人類の間で絶対になくならないという命題と同じくらい正しいです。どんな親友だろうと、家族同士だろうと、分かり合えない部分というのがそれぞれあって、それを押し付けることが差別に繋がる。だから理解しようなんてキレイゴトは言わない。

せめて、

「俺は・私はよくわからないけど、いてもいいと思うよ」

こう言ってくれる人がいたら、少数派はどれだけ救われるだろうか。

かつてアメリカには、「黒人がバスの席に座ってはいけない」という決まりがありました。白人は街に黒人が住んでいるのが許せなかったんでしょうね。モンゴメリー州という州でした。ここでは人種隔離政策が公に行われていました。

もし白人が「黒人、俺は・私はよくわからないけど、いてもいいと思うよ」

なんて考えていたら。

日本では同性愛がまだまだ受け入れられていません。告白をためらう彼らに世間が

「俺は・私はよくわからないけど、いてもいいと思うよ」

と言ったら。

テレビの影響か、ゲームやアニメを好きな人=犯罪者予備軍という認識があった時代がありました(今ではだいぶ緩和されてます)。アニメ好きの知り合いに自分から

「アニメ、俺は・私はよくわからないけど、アニメ好きはいてもいいと思うよ」

と言ったら。

それってきっと素敵なことだと思うんです。絵空事でしょうか?ちょっと何かを言う前に、

「いや、別に、いたところで自分が損するわけでもなし、いてもいいんじゃないかな」

なんてみんなが考えるようになればいいだけの話。それが難しいんだろうけど。

 

もちろん、考え方として自分には絶対に相いれないこともあるでしょう。長い間付き添う関係……夫婦のような……では、そういう行き違いが致命的なものになったりもします。

例えば、「時間は別にルーズでいいじゃん。自分は待たされても全然イライラしないし」派と「時間は守るのが最低限のマナーだ」派では絶対に相いれないでしょう。

待つ、待たせるの問題などは、迷惑をかけることもありデリケートな問題です。自分の友人や家族が時間にルーズすぎてイライラさせられる人もいるのではないでしょうか。

ですがそれを乗り越えていくために人々は話し合いをしてきたんです。もちろん罵声を浴びせるのは駄目。「自分はいやだから」ということを伝える。向こうが折れるかこっちが折れるかはわからないが、まず穏便にことを済ませる。

それでも分かり合えないようであれば、(自分が割を食っていたりして、自分がそれをどうしても許せないなら)残念ながら、ということになります。

分かり合え、なんてキレイゴトは口にはできません。分かり合えない悲しい動物が人間なのですから。

 

じゃあ、上の立場の人間と相いれなかったらどうしよう。これは非常に難しい問題です。立場の関係上はっきりと「いやだ」とも言えないし、かといって自分が耐えられる保証もない。ここらへんは処世術ライフハック系ブログさんにお任せします。

 

差別をすることによって人間は一体感という快楽を手にします。しかし、そうやって生み出された差別の連鎖が、巡り巡って自分の首を絞めているということにいつになったら気づくんでしょうか。自分が少数派にならないなんて保証はどこにもありません。

ある日突然差別されることがあるかもしれないのだから。

少なくとも、一般的に「差別問題」と言われている事柄……人種だとか、性別だとか、愛のカタチに関しては、もう少しみんなが寛容になれればいいのになあといつも思ってます。

 

ネットが差別を激しくする

ネットの台頭により、自由に自分の意見が言える世の中になりました。それが注目されるかどうかはおいといて、法律にさえ違反しなければどんなことでも言ってよいことになってます。しかし、一部の差別主義者の声がおおきくなるのもまたネットの特徴。

その過激な声というのは他の人の心、何より少数派の感情を大きく揺さぶります。某巨大掲示板なんてもう毎日そんな感じですよ。

〇国人は日本から出ていけ だの在日はいらんだの

〇〇という仕事についている人はアホだの

日本に住んでいるその人や、その職を好きで選んだ人たちが偶然にそれを見たら一体どう思うでしょうか?過激派の彼らは「だから何だ、〇国人(〇〇の仕事の奴ら)はみんな同じなんだからいいじゃないか」で終わってしまうのかもしれないけど、そのせいで世の中が却って生きづらくなっていることに気が付きません。

本来なら過激な意見というのはある程度淘汰されてでてきます。しかし、匿名で自由にモノが言える社会ではそうはいかない。生の過激な意見が、ふと目の前に現れるのです。

どうして送信ボタンや投稿ボタンを押す前に考えないんでしょうか?

 

これで差別3部作は終わり。お読みいただきありがとうございました。

差別問題を解決するには何より「他人の存在を認めること」が大事だと説きました。これは言葉にすればすごく簡単なことです。自分だけがやるのもまた難しくはない。

しかし、「みんなが」となると途端に難易度が上がってしまいます。尊重は社会主義のようなもので、あくまでこの論はみんなが善人であることを前提にしている。でも実際そうはいかない。

だから字面では簡単に見え、実行となると難しいのです。

でも、まず自分から始めなければ何も起こりません。とりあえずは親しい人を、大切にしてあげてください。

明日皆さんが他の人に少しでも優しくなれたら、これ以上うれしいことはありません。