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ちしきよく。

雑多系ブログ。みなさんの「何かを知りたい!」という欲を叶えましょう。

「ペーパーテスト賛成反対」の議論が大好きな人たちに言いたいこと



あとで読む

ペーパーテストの公平性なんて……

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ぜーたです。受験生の皆さん、受験勉強は頑張っていますか?

まあ、センターの前の日にこんなブログを読む人は若干危うい気もセンター頑張ってください!

 

私も一人の人間として、受験を乗り越えてきたわけですから、受験について何も思わないことはありません。

受験勉強をしていると、「どうしてこんなことをしなきゃいけないのだろう」「しても意味がないのではないか」 という疑問が頭に浮かんできます。結局日本にいる限り、するしかないんですけどね。

 

ですから今回は、日本の受験制度について考えていきます。

 

ペーパーテストの国、ニッポン

日本はペーパーテストです。ペーパーテストというのは、簡単にいえば

「紙切れの点数によって、合格か不合格か決める」という試験方式のことであり、日本のほとんどの大学……特に私立以外の大学で採用されているものです。

 

 

これと対極にあるのが、「紙切れを使わない」試験であり、例えば一芸入試(自分の得意なものを面接官に見てもらう入試)とか、面接入試とか。こっちは主に私立大学で採用されています。

 

 

で、ペーパーテストによって生徒を振り分ける制度……日本の試験制度については賛否両論があって、公平だ!って人と、不公平だ!って人がいます。

議論に公平を期すため、今回は両方の言い分をまとめていきますね。

 

ペーパーテストは公平だ派

まず、何はともあれ「紙面の点数だけによって生徒を評価する」という制度は、そこに人格も生まれも出身も関係がない。そこにあるのは当日のできであり、点数であり、努力するものには誰にでも門戸が開かれている。

だから公平だ!

 

「名家の出身じゃないと入れない大学」とか「金を積めば入れる大学」とか、不公平じゃん。そういう個人の因子(家柄とか親の収入とか)が関わらないんだから、公平でしょ!

凡人だって、努力すれば入れるんだから!

 

ペーパーテストは不公平だ派

いやいや、公平だ派の人たちよ。

努力すれば入れるなんて言うけど、そもそも努力できる環境にない人、ペーパーテスト式が苦手な人だっているんだよ!!

例えば教育にお金を掛けられる家庭の子と、掛けられない家庭の子では、その点数に差が出るのは当然だろう!

そんな制度自体が公平だなんて、考えられないよ!

それに、ペーパーテストが、失読症の子や、発達障がいの子たちが大学に入るのを阻害している、とも考えられるよね。

 

公平だ派の人たちの反論

そういう風に言うけど、アメリカの教育制度だって、上位に食い込む私立大学に行こうとしたら、とんでもない額の金がかかるじゃないか!

生まれついて貧乏な子たちは、大学に行くこともできないんだよ、結局日本もアメリカも同じ!貧乏なところの子は教育に金がかけられないんだ!

それに、貧乏だけどとびきり優秀なら、奨学金を使うという手もあるじゃないか!

他のも見てみるぞ、ドイツの教育制度だって、小学校の時点で進路が決まってしまう、たった10年ぽっちしか生きてない子に大学進学の意を聞くのは酷だろう!

ペーパーテストなら、どんなに年をとっても、本人が望みさえすれば大学を受けられるし、他の学生たちと公平に扱ってもらえる。

それが公平じゃなくて何なんだ!

不公平だ派の人たちの反論

いいや、不公平だ!年を取ってからだと記憶力や注意力も落ちるから、学生と同じ条件じゃないぞ。

奨学金を借りればなんて言っていたが、最初から勉強できない家庭の子はどうするんだ!優秀じゃない、貧乏だけど勉強したいなんて子には不公平だろう!

いっそのこと、フィンランドを見習って、教育を全部無料にしたらどうだ、そうすれば機会の差はなくなるぞ!あの国は生涯学習も盛んで、社会人になってから大学に通うことも十分可能だ!

公平だ派の反論

アホか!フィンランドほど税が高くない(フィンランドの消費税は20数%)んだから、二本が真似したら潰れてしまうぞ!

 

両方

うわあああああああああああああ!!!

 

以上の議論は私の脳内で行われたもの(脳内議論)でして、実際にはないのですが、こと教育に関することになると、話題がそれてしまいがちです。

某巨大掲示板のスレッドも、こんな感じで最終的に収拾がつかなくなって落ちてます。

だいたいは「ペーパーテスト賛成派」と「ペーパーテスト反対派」に分かれ、賛成派はペーパーテストは公平だ!反対派はいや公平じゃない!なんて言い争っています。

 

どうしてこういうことが起きてしまうのでしょうか?

それを今回は見ていきましょう。

 

「公平性」とは何か?

 そもそも、お互いにとっての「公平性」が定義されていないのが問題です。

公平派は恐らく「受験者を数量化し、点数によってのみ採点されること」を公平とし、不公平派は「受験・合格へのチャンスが均等に与えられること」(言い換えれば「家柄、貧富に関係なく、その生徒自身の優秀さによって測られること」)を公平としています。

つまり、議論の前提が違っているので、両者がどんなに言い合って殴り合っても議論が終結しないのですね。

 

公平だ派は「ペーパーテストこそ最も公平な制度だ」

不公平だ派は「ペーパーテストは家庭で差が出るから公平じゃない」

なんて互いに言っているばかりです。これじゃあ確かに意味がない。

 

 

ですから、公平性というものをまず、定義する必要があります。

生徒を数量化し、点数によって測るという視点なら、確かにペーパーテストは世界一公平なテストです。

面接だとか一芸入試だとか小論文のようなものより、配点の決められた問題をどれだけ解けたかで合否が決まる制度のほうが良いのは明らかです。面接の印象やら受け答えやら生徒の実績やらは点数化しにくく、他の生徒との比較は難しくなります。

 

ですが、教育への機会が均等に与えられるという視点で見れば、ペーパーテストは公平ではなくなります。例えば、東大が出している学生生活実態調査によれば、

東大生の親の収入と、大学生くらいの子どもがいる家庭の収入(一般群)の比較は以下のようになっています。

 

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(「東大生の親」は我が子だけに富を“密輸”する | プレジデントオンライン | PRESIDENT Onlineより引用。データは2014年度の『東京大学学生生活実態調査』、厚労省の『国民生活基礎調査』より作成されていますが、作成者は私ではありません)

つまり、東大生の親の収入(左グラフ)というのは、普通の家庭の世帯の収入(右グラフ)よりもだいぶ高いことがわかります。これはある意味当然の話で、金持ちの家庭ほど自分の子どもに十分な教育を施せるからです。

年収950万以上の家庭が50%以上を占めるにもかかわらず、年収450万未満の家庭なんて20%もありません。これを歪と呼ばずして何と呼べばよいのでしょう。

 

つまり「こんなに親の収入によって点数が変わるのに、生徒のチカラを公平に測っているなんて言えないだろ」という、統計が示す残酷な事実が出てきています。

 

立場によってこうも変わってしまうのですから、やはり公平性という前提を確認しないことには議論が進みません。

 

 

と、いうことを両者の方々に申し上げたかったのです。

 

あ、この機会にもう一つ。

 

 

テスト=絶対公平じゃなきゃダメ!なのか?

これは個人的な感想でしかありませんが、

テストを公平性だけで測る

という考えこそ、真に狭い価値観なのでは?と思ってしまいます。

「テストが公平でなければならない、という思い込み」自体がテストそのものを測る上で大きな障害になっているというか。

 

例えば、生徒の個性を見たいのなら、公平な試験である必要はありません。私立の大学がAO入試なんてものを設置しているのはそういうわけです。

確かに数量化は難しくなりますが、紙の上には個性が現れませんので、一芸入試なんてものが生まれてきます。「個性」というフワフワしたものを測るため、各大学が苦戦しているわけです。本当に測れているかは別として。

(個人的にAO入試はあまり好きではないというか。その人自身を見ているようで見れてないと思うんですが) 

 

生徒が人間的に破たんしていないかは、ペーパーテストでは見ることができません。面接が必要になります。医学部の面接は2パターンあって、点数化するものとしないものに分けられます。そのうち後者はこれを見ているようです。

その生徒が医者になる素質を持っているか、言い換えれば、人格的に破たんしていないか、人間としての倫理を持っているか、を見るわけですね。

 

語学の力を見たいなら、語学の資格をいくらとったのか(まあ語学の資格自体、公平性にのっとって作られてますが)とか、大学が作る独自の問題に答えさせるとか、未知の言語を学ばせて適応力を見るとかしなきゃいけない。

 

要するにですよ。

テストが公平でなければならない、なんて決まりはどこにもない。測りたい尺度によってテストの方法を変えればいい。

それだけのことだと思うんです。

鬼の首を取ったように「ペーパーテストは不公平だ!!」なんて言う人も、逆に「ペーパーテストは世界一公平だ!!」なんて言う人も、そのことを忘れている気がします。

 

ちなみに、ペーパーテストに関しての私の意見を述べますと、

コストがかかるから、ペーパー式にしている」という身も蓋もないものです。つまり、生徒を公平に測ろうという意図があったわけではなく、(あったかもしれないけど)

コストをできるだけ削れる入試制度がペーパーテストであって、公平性は後から来たものにすぎない、と。

だって、一人ひとり面接とかやってたら日が暮れますよ。入試が3月までに終わりませんよ。そんでもって(センター試験を受ける)毎年50万人分くらいの面接を全てチェックし点数化なんてしてたらもう、

大学の先生たち、余裕で死まにすよ。

(配列変えたのはわざとです)

そう教授が愚痴ってました。ペーパーでさえだるいのに面接なんかやってられん!と。

 

じゃあフランスみたいに小論文にするかというとそういうわけにもいきません。

小論文だって点数化が難しい科目の一つです。読まなきゃいけない。50万人分のを読むためのスタッフ集めからして難しいですよね。みんなそんなに暇じゃないです。

1人100枚読むとして……5,000人が必要になります。そんでもって5,000人全員が公平な基準にのっとって採点しているかチェックする人も必要になります。

もうやってられんです。

 

で、ペーパーテストという測り方の楽さにあぐらをかいてきた(なんて言うとすっごく失礼か)日本人が、今さら採点の面倒な面接とか小論文に切り替えるとも思えないんですよ。いくら外国を真似ろ!なんて言ったって、試験の制度を変えることは現行の教育制度を変えることにもつながります。日和見主義のお偉いさんがわざわざそんなめんどくさいことしない……でしょう。

 

これは公平性とかそういう問題とはまた別のところにあります。

 

そういえば、センター試験って廃止されるんでしたっけ?

思考力を測る問題……か。あんまり期待してないけど、頑張ってくださいな。

あ、受験生も明日頑張ってきてください!どうやら大寒波ですけど。