読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ちしきよく。

雑多系ブログ。みなさんの「何かを知りたい!」という欲を叶えましょう。

作り手の「じゃあお前が作れって話でしょ」は暴論になりやすい



あとで読む

ほならね理論について思うこと

f:id:zetakun:20170403234308p:plain

ニコニコ動画をたまに見るが、この前見たゲームの動画はひどかった。私は既プレイなので投稿者の巧さがありありとわかるのだが、そこに文句をつけて、やれ「こいつ下手だなw」やれ「なんでそこで死ぬんだよww」だの言う人もいる。

お前らは投稿者に文句をつけられるほど偉いのかよと。

お前らは投稿者より巧いのかよと。

 

持ち前の短気さで「じゃあお前がやってみろよ」とコメント投稿しかけたが、手を止めてふと考えた結果、やっぱり投稿しないことに決めた。

 

創作物に対して必ずと言ってよいほどつく定型詩?常套句?が「そんなに文句を言うならお前が作れ」である。

そしてこのことばについて避けて通れない議論が、「コレは正論か、暴論か」なのだが(某巨大掲示板やニコニコ大百科のコメント欄を覗いてみよう)、問題を分解せずに一緒くたに正論だ暴論だ話してても何も始まらないので、切り分けてみる。

 

まず、これを耳にする場面はおよそ3つ。誰が誰に言ったかで分ける。

 

1、作り手が作り手に言う場合

2、作り手が素人に言う場合

3、素人が素人に言う場合 

 

このそれぞれについて、例を挙げていこう。

 

作り手が作り手に言う場合

漫画家Aが別の漫画家Bのシナリオに理性的なマイナス評価をし、それに切れたため「じゃあお前が書いてみろよ!」と言ったケースだろうか。

 

ここで注意するべきことは、両者が同じ職業、同じ肩書きであることである。

 

松本人志がお笑いや映画に対して批判するのは認められよう(彼の映画の評判は置いといて)。だがそれ以外の分野……一般に彼が作り手として関与していないと思われる分野についてプロであるかのように批判するのはあまり認められないだろう。

なぜかといえば彼自身が実際にお笑いや映画製作に携わっていて、そのノウハウや業界の常識などにある程度精通していると考えられるからである。

(じっさいには彼のことばは神格化……?されていて、門外漢の分野に口出ししてもなぜか正しい扱いを受けていることがあるが)

 

 同じ職業なのだから、「お前が作れ」と言われて、実際に作って皆さんの評価を仰ぐことは一応可能だ。

 これ大事。

 

作り手が素人に言う場合

素人なんて言うとトゲが立つから、「その業界にほとんど詳しくない人」とでもしておこう。作り手の対義語がなかったので便宜上こう表現しているだけで、バカにする意図は全くない。

 

私は料理の素人だし、焼酎の素人だし、安眠枕の素人だ。

 

この場合、素人は作り手と同じ情報や常識を共有する必要がない

まあ早い話、素人側は土俵の外から何でも言える。

それに対して、それを利用して作り手が「(そういう批判の仕方は卑怯だぞ を多分に含むニュアンスで)批判するならお前が作れ」と言うことも可能ではある。まず自分と同じ土俵に立ってから言ってみろや、と。

 

素人が素人に言う場合

冒頭のような動画コメントの例がそれに該当する。

匿名特有の不毛なバトルだ。

動画に対し「こいつ下手だわ」という批判が来ると、ほぼ必ず「じゃあお前が作れ」というコメントが反論として飛ぶ。

そうして今度はそれが暴論だの正論だの。

君たち黙って動画見ようよ

なんて思うのももはや茶飯事。

※コメントした人が投稿者だったり、精通してる人という可能性も大いに考えられるが、それを特定することができないので素人ということにしておく。 

 

 

こういう風に分けたのは当然議論をしやすくするためだが、ここでは特に2番「作り手が素人に言う場合」というのを考えてみよう。

 

というのも、2番のケースが最も暴論になってしまいやすく、危険と思ったからだ。

それがなぜなのか説明していく。というか以下、2番のケースにのみ的を絞って考えているので、1番や3番には応用が利かないと思う。

 

立場の非対称性

批判する人と「批判するならお前が作れ」という人の立場を考えてみよう。

1番はどうか。同じ専門分野の人たちだから、対等であると考えられる。

3番も対等だ。素人どうしで言っているだけなのだから。

 

ところが2番は違う。

2番だけ、立場に非対称性がある。さきほど土俵の外から云々という表現をしたがまさにソレ。「土俵」という、明確に区切られた線が意識される。

 

雑な例えをすれば、1番は土俵の中で戦いあってる感じ、3番は土俵の外で殴り合ってる感じだが、2番は土俵の中のおすもうさんが観客に向かって叫んでるイメージ。おすもうさんをディスってはないですよ。

 

その線とは何か。土俵とは何か。

当然、何かを作っているか、作っていないか、という違いだ。であるからこそ両者が「作り手」と「素人」という二つの呼び方で分けられるのであり、線がなければこの命名区分も存在しえないはずである。

 

そして、作り手(内側の人間)が素人(外側の人間)に対し「批判するならお前が作れ」と言ってしまえば、それと同時に二つのことが明確に認識される。

 

一つ、両者の立場の差を覆しようがないこと。

二つ、立場の差が優位性の有無になっていること。

 

一つ目は自明である。作り手がこう言うのは元はといえば「俺はものを作っている、お前はものを作っていない」という意識の差より生まれるものだ。それを言語化したにすぎない。

二つ目はかなりひねくれた解釈になるが、これを発する作り手から、暗に「俺とお前では(ものを作っている)俺のほうが偉い」とでも言いたげな雰囲気が見え隠れする場合がする。

 

つまり、作り手側はまず、作り手と素人のあいだの差を利用する。相手が「作れないことをわかっていながら」口にすることで、自分の作品への批判を逸らそうとしている意図が見え隠れする(が、二つ目のメッセージの強烈さによりこちらに目が向くことはあまりない)。

そして二つ目の意識でみんなからの強烈な反感を買うことがある。

「お前が作ってみろ」発言の裏側にある作り手側の傲慢さというか、「俺のほうが偉いんだから素人は黙っとけよ」という態度が見透かされてしまう。見透かされるというか、勝手にそう決めつけられる。

たとえそのつもりがなかったとしても勝手にそう思われてしまうのだから怖い。

 

(あまり実感できない方は、アンチの多い中堅Youtuber の動画を見てみるといいかもしれない。「作ってる俺が偉いんだからアンチは下、黙っとけ」みたいな、わけわからん論理展開をしている場合がある。晒しあげはしたくないので自分でお願いします……)

 

 

「文句があるならお前が作れ」論に賛否両論あるのはこうした原因によるものと考えられる。

 

私自身、この理屈については反対だ。特に一つ目、自分の作品への批判をその作品を前提にしない論理……つまり立場の差で以って反論するという方法が気にくわないからである。極端にいえば作り手のとる「逃げの一手」になりうると思う。

批判への批判をするなら、ちゃんと作品内部の解釈とかで完結すべきだ!と、勝手に考えてます。

 

まあここらへんは個人の感性によるところが大きいが、論理の妥当性としては「正論」と崇められるほど便利なものでもなかろう。使いたくはなるが、むしろ一歩間違えれば暴論といって叩かれるような……魅惑的な危うさを孕んだもののように思われる。

 

例外もあり!

なにごとにも例外はある。

 

「こんなの俺でも作れる」と批判者が言った場合。

これに対する「じゃあお前が作れ」は確かに正しい。いちおう、論理としては。

 

もう一つ。「良さ、上手さが客観的に観測できるもの」の場合。

例えばカーレース系のゲームで、1周するタイムを競うというような数量化できるものが基準であった場合は、「じゃあお前がやれ」は正しくなる。もちろん世の中にはそんな創作物のほうが少ないが。

この場合、「俺のほうが上手い」と言った人は、動画を実際に投稿してみればいいだけの話だ。

 

駄目押し。批判が批判じゃない場合。

今までの批判は全部建設的な批判を前提にしてきたが、世の中良質なものばかりではない。

どちらかというとケチをつけただけの奴、主観ありきで叩いてる奴、ただの人格否定と化した奴などが溢れかえって、正しいとでも言わんばかりの顔をしている。

これに対し、ヤケクソ気味に「じゃあお前が作れー!!」と言いたくなる気持ちは120%共感できる。(例外に入ってるが正しいとは言ってない)

 

まあただ「時として正論になりうるね~」という話であり、基本的には暴論か、それに一歩近いものだと思ってもらって構わない。ましてや何もかも論破できる正しい理屈などではないだろう。

 

論理的な正しさが評価されるとは限らない

今まで論理の妥当性によって議論を進めてきたが、実は皆さんもお分かりのとおり、世の中は「論理的に正しいこと=一般的に正しいこと」ではない。むしろ逆かよ~?という例もたくさんある。

もしかすると、じゃあお前が作れ理論もその一つかもしれない。

 

つまり、いくらこの反論が論理的に正しくて筋が通っていたとしても、言われたほうはやはりカチンとくるし、周りもいい気持ちにはならない。

批判しといて身勝手な!という気もするが、人間そんなもんだよ。たぶん。

むしろ正論を言われるとヒトは逆上する。

やっかいだが、そんなものだ。

 

そしてこれまた理不尽な話だが、ものを作るというのはそういうことだろう。本人の名誉や信頼に傷がつかない限り、手厳しい批判もゴクリと飲み込み、「一案として、今後の参考にさせていただきます」ぐらい言えるのが立派なんじゃないかなと思う。私は言えないと思うけど。

私も辛辣ブクマカーさん方々のブクマに心折れそうです

 

本来作り手側が何かを作る権利を与えられているのと同じぐらい、受け取る方はそれを見て何を感じても何を言っても良い権利を持っている。(作り手側の名誉や信用を著しく損なわないという限度はあるが)

 

批判のたびに「お前が作れー!お前が作れー!」なんてなまはげみたく言ってたらキリないし、そうやって異物とやらを排除してつくった囲いはあまり作り手を成長させてくれない。賛同者だけ集めたグループは手軽な承認欲求の充足こそもたらしてくれるが、創作物への改善点は何も述べてくれやしないのだから、そんなに良いものでもない……気がする。気持ちはわかるけどね。

 

 

というこのエントリーが数年後自分の身に壮大なブーメランになって突き刺さらないかは心配だが、とりあえず自戒の念を込めて書いた。みなさんの参考になると幸いです。

 

 

 

追記:大見出しの「ほならね理論」ですが、これはとあるyoutuberの発言がもとになってできたことばです。まあ意味は「文句があるならお前が作れ」と同じですが、あまりに端的に表せているので代替語っぽくなってます。

晒しあげるのもあまりにかわいそうなので、詳しくは下の記事参照のこと。

ほならね理論とは (ホナラネリロンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 

それでは。