ちしきよく。

雑多系ブログ。みなさんの「何かを知りたい!」という欲を叶えましょう。

ポジティブ思考とやらがどうしても肌に合わない人へ



あとで読む

Rodin's Thinker

(http://www.kyohaku.go.jp/eng/dictio/choukoku/49rodan.htmlより)

 

今思い悩んで苦しくて、明日を頑張れないかも……という人がいたら、これを読んで元気を出してほしい。

 

先に断っておくが、私は決して「自殺をしよう!」とか「君は生きる価値がないから早く死んでいいよ」みたいな煽った・極端なことを言いたいのではない。むしろ要旨としてはその真逆だ。死なないためにこういうことを言うのである。

 (この話はいつか「逃げる」ことが前提になっている。実際に難病で苦しんでおられる方や、借金返済のため汗水たらして働く方へ拡張できる……などとは考えていない。あくまで、過去の私のように、「きついし辞めたいけど決心がつかない、でもこれ以上続けると病みそう」という方へ向けて書いている。そこを留意されたい)

 

私という凡人が生きる上で、病みかけていたときに結構心の救いになったことをつらつらと述べていくだけだ。N=1なので、日本人や国の話に仕立て上げるつもりもない。こういう話があるんだな、ぐらいにきいてほしい。

 

今、生きる活力にあふれていて、何をしてもお天道様に感謝できる、という方は、素直にブラウザバックしたほうがいいかもしれない。

 

パワハラ?

私が心を病みかけたのは、部活においてだった。

特定などを防ぐため詳しくは言わないが、いろいろと崩壊していた顧問の教師からかなりきつい指導……もとい、パワハラじみたことを受けていた。

ここらへんはパワハラということばの定義によりいくらでも変わってくるが、言葉遊びに伍するつもりはない。「私がパワハラだと思ったものがパワハラだ」なるジャイアニズム精神で勝手に定義した。(友人に話すと本気で同情されるレベル)

 

それは一昔前の人間にしてみれば、「しごき」「指導」ということばで済むぐらいのものだったに違いない。

何が言いたいかというと、ただ私の精神力が並より低く、愚直な性格で罵倒を受け流すことができなかったばかりに、病みかけた……というだけの話である。

まあそりゃいろいろ言われたが、叩いたりとかはなかった。というかこれで手を出されてたら即誰か別の先生に相談してたと思う。

 

今思えば、先生は自分の想いとかをまっすぐ言えない、かなり不器用な人だったんだろうな、と感じる。怒ってしまうタイプ。

私だけじゃなくて、だいたい誰に対してもそうだった。

 

大事なのはそういう事例じゃなくて、私が病みかけていたという事実。

某シマウマブクマカーさんは「大脳が壊れて人間にさえ成り損なった哀れなメンヘル、この記事を病院にプリントアウトして持っていこう。お大事に」とか言いそうだけど、全然笑いごとやネタにならない。あ、毎日瞑想してます。

外から見る分には一方的な憐情や皮肉を押し付けていいのかもしれないが、当人は必死だ。

私も例外ではなかった。

 

その必死ぶりはきっと当時の日記にも表れている。

かなり恥ずかしいけどここに晒してみたい。まあずーっとこんな感じ。辞める直近3か月ぐらいは。

 

もう疲れた。あの〇〇め何度同じことを言えば気が済むんだ。

辞めたい。このままだと辞める前に死んでしまいそう。

〇△×〇〇×(読み取れない)

 

何のために生きてるのかわからない。

ついに食事が喉を通らなくなった。

眠れない。涙が出てくる。もういやだ

 

体重が10㎏減った。これ以上痩せたら質量がマイナスになりそう笑

最近何をしても楽しくない。つまらない。世界が単色になった

 

〇〇先生が夢に出てきた。ひたすら怒ってた。

目が覚めたら涙が。学校行きたくない

 

辞めようかな?って聞いたら「もうちょっと頑張ってみたら」って。

頑張ってんだよこっちは。とっくに。

勝手に辞めようかな。学校と反対側のバスに乗ってどこか遠くに行きたい。誰も知らない遠くの街。

 

目覚めたら心臓が止まってて死んでた、とかがいいな。

いつ毒が回って死ぬのかしら。

自分より不幸な人が世界に山ほどいる事実は、当の本人には何の意味も励みももたらさない。それを知ったところで結局自分が不幸なのには変わりないから。

 

弁当を残すと親に心配をかけるから、無理やりにでも押し込む。そうして部活の前にお腹が痛くなって、30分は出られない。

いっそC4でも食べてみようかな。甘いって

 (C4...コンポジション4、プラスティック爆弾)

 

死ぬ気でやれば何でもできるってふざけんなよ。

何かをやる気力さえ残ってないってのに。

 

「辞めたい」ってことばが周りにとってはどうでもいいんだよな、きっと。当事者の不幸は他人の無関心か、幸せか。親でさえ。

 

 

「仕事なんかで病む人の気が知れんわ」と思っていた自分が、わずか数か月で食事が喉を通らなくなって10kg痩せて視界の端が歪んで見えるようになって気づけばホームセンターのロープのところにいたりしたぐらいだから、きっと正常な人間でも病むとこうなっちゃうんだろうな、ってので。まぁ参考程度に。

今はさすがに消したけど、電子辞書のテキストメモに遺書を書いてたこともある。

 

「いつでも死ねる」という不謹慎な態度

で、そういうとき、私はどうやって自分を奮い立たせてたのか、って言うと。

それも日記に残ってる。たまにこういうことを書いてる。

 

いつでも死ねるんだ。人間なんてもろくて儚くて、明日のことさえわからない。

こうやってバスを待ちながら日記を書いてる今にも、大通りに飛び込めば散るし、ビルから身を投げ出せば終わりか?または家の包丁で切り刻んでみるか。

そうしたい気持ちでいっぱいだけど、何とか持ってる。

 

 どうして持ってるのか、ってのが。次の日の日記ね。

 

カッターナイフを持っていって、いざとなったら〇〇の前で首切ってやればいい。もしくは〇〇で降りて〇〇でロープを買うぐらいの金はいつも持ってる。

ただ、いつでもやれるから、やらないだけだ。

そういうことにしよう。

 

私はそう、「人間死のうと思えばいつでも死ねるんだから、別に今日急いで死ななくてもいい」という不謹慎な思いで何とかその日を生きていた。

 

要するに、後ろ向きに前進していた。

(前進ってかホフク前進か) 

 

これは当然、明日を生きたくてたまらない、難病に現在進行形で立ち向かっている人たちや、飢餓や戦争で辛い想いをしている人にとってみたら、不遜極まりない態度だ。

そして本来コントロールできないはずの生死を自分で決めてしまおうというのだから、神への冒涜行為にも等しい。

 

それを「冒涜だ」「死ねというのかこの人外鬼畜外道野郎」「お前より辛い人は山ほどいるのにそんなことで悩むな」と言われるのはしょうがないこととして諦めているし、たぶんそれは事実だ。

しかし、私にとってみればこの不遜な態度こそが、辛く苦しい数か月を生き延びる支えになったのもまた事実。

 

だから、ごく一部の人間……

特に、「頑張れば何でもできる」とか「世の中にはアンタより不幸な人間が山ほどいる」とかいう何の役にも立たない励ましを(相談してもないのに)されて、傷ついてる方には、少しぐらいこのアドバイスが役に立つんじゃないかな、と推測している。

 

「楽天的」ということばが徹底的に馴染まない人格

どうしてこんな後ろ向きで不謹慎な考えで生き残れたのか(身を投げ出さなかったのか)、ということを改めて考えてみると、それはたぶん私が徹底的に悲観主義で愚直だったからじゃないかな、と思う。逆説的だけども。

 

私は言われた言葉全部を素直に受け取りその一つ一つに心を切られていた。あれを言われたこれを言われた、全部日記に書いているが、今読むとそんなに真に受けるほどのことがらでもない。

立派な人格否定も混じっていたが、ブログを始めて思うのは、人格否定なんかに時間を費やしても何もいいことがない、という事実だ。

先生も機嫌が悪かっただけで、悪気はなかったんだと思う。

 

こういうとき英語にはnaiveという便利な単語がある。日本語のナイーブと違い、「悪い意味で純粋、傷つきやすい」という意味らしい。私はまさにnaiveだった。

だから日本語にすると「悲観主義で愚直」が近い。

 

そしてそういうたぐいの人には、「何も考えない」とか「なんとかなるさ」の精神はあまり適用できない気がする。私だけかもしれないけど。

 

そもそも悩む人ってのは、「悩みたくて悩んでるわけじゃない」というアタリマエな点に留意しなければならない。

「考え込んでしまって、だんだんマイナスにはまりこむ」ので、そういう人に「考えるな」というのは、何だろう、小食で痩せてるのを気にしてる人に対して「お前は痩せてるからもっと食え」って言うのと似ている。

 

そして、「考え込んでしまう自分」に対してますます腹が立って、もう本人もどうしようもなくなる。その思いを吐き出す相手もいない。

 

(相談されたとき、励ますというのは当人にとってみればすごくありがたい行為だけど、naiveな人を励ますときにはここに留意するといいのかも)

 

抜けるほうが楽だといつか気付ける

変なふうに考え込まないためにも、「自分はいつでも死ねるんだぞ!」という心の準備(勇気なき覚悟ともいう)を予めしておく。

 

とても不謹慎な物言いだが、いつでも死ねるというのは、現世の(ココ大事、地獄天国云々の話はしていない)あらゆることから自由であることと同義であるからだ。

死んだらおしまいで、考え込むことさえもできなくなる。

そして、その行為が周囲にどれだけの迷惑と悲しみをもたらすかなんてのも、当たり前だけど死んだら考えることができなくなる。

 

一歩間違えれば本当にやらかしてしまいそうでもあるが、実際これが何とかなったりするのだ。というか私は何とかなった。

 

なぜなら、死ぬ準備をして、本当に死ぬ……よりも、その環境から抜け出すほうが絶対に楽だといつか、「自分で」気付くからだ。(抜けだせる環境ならば、だが。)

 

実はここが大事で、いくら「そんなにきつければやめればいいのに」というアドバイスをもらっても、私はそう簡単には動けなかった。考え込んでしまうから。

そんなのこの時期に言えないよ……辞めたらますます学校行きにくくなるじゃん……部員の人と喋れないよ。先生と会ったらどうしよう

って。余計なことまで考え込んでしまうのだ。だから辞められなかった。

(事実、辞めてからは顧問と廊下ですれ違ったとき、挨拶をこちらからしても全部無視されたが)

 

でも、死ぬ準備を心の中でしておくと、次第に

あれ、なんでこんなことなんかで死のうとしてるの?

辞めたほうが楽じゃない?

という意識が芽生え、段々と悩んでることが馬鹿らしく思えるようになった

(これが他の人に100%適用できるなどとは思ってもないし、たぶん楽天家には一生共感されないだろう……と思う)

 

他の部員に対しては非常に申し訳ないなと思いながらも、心の健康をこれ以上害するわけにはいかん!と決意し、辞めるに至ったわけである。

ちなみに先生との最後の会話は、「お前、逃げるんやな。ホンット最低やな」だった。

はい、最低野郎ですみません。逃げます。

 

そういうわけで、この「後ろ向きに前進する」戦法が、今何かに苦しんでいる方に少しでも役立てばと思い、この記事を書いた次第である。

楽観的なのをディスるつもりは毛頭ないが、合わない人だっている。私みたいに。

「どんな状況でも笑顔でいろ!」「弱音を吐くな!」「精神的に強くないからそうやって泣き言を言うんだ!」なる類の、いわゆるポジティブシンキングの極みがどうしても肌に合わない人は、一部参考にしていただければ幸いだ。