ちしきよく。

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数学ではどうして文字式なんて嫌いで難しいものを使うの



あとで読む

というようなことを、文字式習いたての小学6年生の子に聞かれたことがあったなあ~と思い出したのでエントリにしてしまう。

 

以前、カイかエックスか問題ではずいぶんお騒がせした。

www.chishikiyoku.com

が、そもそも論として、

 

「どうして数学では文字なんてものを扱うのか」と子どもに聞かれたときに、一週間放置しっぱなしのコーラみたいな炭酸の抜けた頭……はあまりに失礼か、まあ数学なんて忘れきった脳で答えられないというのは、ちと恥ずかしいと思う。

 

 

日本の学生だけなのかわからないけど、「xが悪魔の文字に見える」というレベルの数学嫌いも、世の中には確かに存在する。

xはただ版が余ってたから使われたってのが定説だけども、彼らに何とかして「xの存在意義」というものを教えたいなと四苦八苦して生み出したのがこのエントリ。

 

 

塾講師の皆さん。もう、「なんでエックスって使うんですか~?」みたいな、ヤヤコシイ上にメンドクサイ疑問を尋ねられ、授業時間をフイにすることもなくなりますよ。

これを読めば。

 

 

 

文字式とは

でもまあ、最初から堅苦しい話もなんだから、ほら、そこに座って、コーヒーでも飲んでてくださいよ。

 

あ、カステラもいります?おやつ。

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私カステラ大好きなんですよ。

でも、カステラばっかり食べてると口の中がパサパサしちゃうので、2切れ食べたらコーヒー1杯飲まないと、やってられませんね。

 

ん?

んん?

んんん?

 

今、あなたのお腹が無限に大きいとしよう。

つまり、カステラでも、コーヒーでも、いくらでも入るものとする。

でも、お口がパサパサしちゃうので、必ず「カステラ2切れ食べたらコーヒーを1杯飲む」ことを忘れないようにしないと。

 

 

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このとき、両者の関係性は上のようになっているはず。

これを無理やりイコールでつなげば、

2カステラ=1コーヒー

とでもなるだろう。あ、厳密な「等価」の意味じゃなくて、あくまで対応関係の話。

 

 

だが、あなたのお腹はまだまだいける。

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この場合、まあ両者の対応関係は変わらないとして、個数が変わっている。

カステラを4つ食べるのだから、コーヒーは2杯飲まなくてはいけないはず。

 

 

4カステラ=2コーヒー

 

 

さらに、

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もっとカステラが食べたい!と思えば、コーヒーをもう1杯追加しなくてはならない。

 

6カステラ=3コーヒー

 

 

 

ではここで一つ疑問なのだが、この後、カステラを2切ずつ増やしていくと、コーヒーはどう増えるだろうか?

小学中学年ぐらいの子にやらせると、だいたいみんな絵を描き、10切れぐらいカステラを描いたところで「1杯ずつ……?」と自信なさげに答える。

比の計算が得意な小学高学年ともなれば、即答で「1杯ずつ」と答えることができる。

 

何をごく当然のことを、と思われるかもしれないが、これが実は、数学の本質である「一般化」に一枚かんでいることは、忘れないでほしい。

 

今私たちは、数字と数字の対応関係を離れ、より抽象的な話に近付こうとしているのだから。

 

 

両者の関係性

さて、先ほどのカステラとコーヒーの関係を、より簡単に表すにはどうしたらいいだろうか。

 

例えば、関係を表すために、

 

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というめんどくさい書き方をしてもいいけど、

これだと例えばカステラが100切だと、これを50回繰り返さなくてはならなくなり、とても簡単とは言えない。

 

そこで、気の利く子だと、例えば

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という風にして書いてくる。これはかなり近い。

 

実はまだ不十分だが、どこが不十分なのかはおいといて、比で表すのはかなり良いアイデアだ。

だって、

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カステラが100切れのときも、計算をして、すぐにコーヒーが何杯か求めることができるのだから。

 

 

 

文字式というのは、こういうごく身近なところに溢れている。

 

今、こうすると決めよう。

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こうやってしておくと、yとかxとおいたその二つの文字は、数字の代わりをしていることになる。つまり、アルファベットで書きはするけど、そのアルファベットの中にはどんな数字でも入れることができる、魔法の箱のようなもの……だと思ってみよう。

 

だが、今回の場合、決してyとxは無関係ではない。

なぜなら、こういう比が成り立つからだ。

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つまり、カステラをy個食べれば、コーヒーはx杯飲まなくちゃいけない。

その両者について、カステラ:コーヒー=2:1が成立するのだ。

ということは、yは必然的にxの2倍になるはず。

つまり、

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となり、カステラ2切れにつきコーヒー1杯飲まなくてはいけないのだから、カステラとコーヒー(yとxの関係性)はy=2かけるxになるはず。

 

 

だが、これだと少々抽象的すぎて、自分が数字を扱っているという実感を持つことが難しいから、練習として、

「コーヒーを18杯飲んだ時には、カステラは何切れ食べているか」という問題を解いてみよう。

今までの私たちなら、

カステラ2切れとコーヒー1杯、

カステラ4切れとコーヒー2杯、

カステラ……と手探りで数えていたが、もう違う。

コーヒーとカステラをそれぞれx、yでおいて、その二つの関係式も既に出た。

コーヒーが18杯なのだから、y=2かけるxのxが18に置き換わった……つまり、xという魔法の箱の中に数字が入り、箱ごと「18」という数字になったと思えばよい。

 

だから、その時のカステラは、2かける18を計算し、36切れだとわかるのだ!!

 

こういう風に具体的に数字を当てはめて計算させるのも、文字式に慣れ親しませるための手法の一つだ。

 

 

比では不十分なのはなぜ?

ところでさっき私が、「比ではまだまだ不十分だ」と言った。

これはなぜかというと、比で表してしまうと、それからの一般化がもっと複雑に、わかりにくく見えてしまうからだ。

 

 

以下の問題を解いてほしい。

「1時間あたり80㎞のキョリを走る車がある。この車が同じ速度で、1時間、2時間、3時間……x時間走った時に走ることができる走行距離をそれぞれ求めよう。」

 

「1個あたり50円のリンゴがある。このリンゴを1個、2個、3個、……x個買ったときの代金をそれぞれ求めよう。」

 

「1分間で6Lの水を放出できるパイプがある。このパイプから1分、2分、3分……x分間水を出しっぱなしにしたときの、出てくる水の総量をそれぞれ求めよう。」

 

 

一番最初のは、

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というように図を描いてみるとわかるが、結局、

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距離をy(km)とすると、両者の間にはy=80×xの関係があることがわかる。

導出などは省略するけど、

2番目の問題は

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3番目の問題は

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となる。

ここまでで求めてきた関係式を全部列挙してみると、

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となるが、いろいろと見比べてみて、気づくことがないだろうか?

 

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今、青で囲った部分は、全部構造が共通していて、間に挟まれた数字のみが違う、という事実に。

 

xとyになっていたものをそれぞれ見てみるとわかるけど、

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互いに、どれも似ても似つかないものばかり。

どうしてこんなに似てないものが、同じような式で表されるのか?というのはおいといて、文字式を使うことにより、「一見全く違うように見えるものの共通点」を探すことが可能になったのだ!

 

というのは中学校のいわば「数学」で習うことになる。

 

実はここがキモで、現実の話にそった小学校までの算数と違い、中学校から急に難しくなるのは、「話がえらく一般化されているから」だ。

それは洗練ともいうが、抽象的思考力が追い付かない子どもたちには、少々厳しいだろう。

 

さて、なぜ比が不十分かというと、それは単純に見にくいからだ。

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文字式とは違い、比には絶対的な指標になるものがなく、両者の数値のうちどちらかが統一されでもしない限り、一目で関係性が分かりにくいのだ。

その反面、文字式ならyとxの関係をそのまま導出できるため、関係がわかりやすい!

 

文字式の利点は、実はこんなところにあったのである。

 

 

最後の一般化

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この式を見て、「あっ、数字のところだけが違っているな」と思った昔の偉い人は、何を思ったのか、この数字のところまでもを文字式にしてしまった。それがかの有名な「比例」の式である。

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そして、左側の様々な式……単位も全く違うけど、なぜか同じ形で表される式をまとめて、左側の式にしたのだった。

逆に言えば、左側にあるどんな式も、「全て右側に含まれる」ことになる。

なぜなら、それぞれの場合について、aが80のとき、50のとき、6のとき……などと、適宜定めてやるだけでよいからだ。今回扱ってこなかった無数の数字も、やはりaが代用してくれているので、右側のほうが「強い」(一般的)ということになる。

 

 

説明は以上になる。

 

数学は一般化の学問である

最後に。

数学というのはいわば「一般化」の学問である。

数学に限らずどの学問もそうかもしれないが、数学に関しては特にその向きが大きい。

式に表して、似ているところを探し、 その二つに共通する枠組みだけをいいとこどりしていく。

 

そうすることで、様々な場面に対応できる式……いわゆる「強い式」が出来上がる。

文字式の扱いというのは、数学のそういう考え方に子供たちを連れていき、一つ目の洗礼をするためのもの……でもあるのだ。

 

 

だから、教科書を見たときにわけわからんのも全然おかしいことではない。

大人が長い時間頑張って考えて一般化されたことが、教科書にはわずか数ページとして載っているのだから、子どもがわからないのも、ある意味当然なのだ。 

 

 

ということで、このエントリが、多少教育業界の方のお役に立てれば、幸甚に存じる。