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ちしきよく。

雑多系ブログ。みなさんの「何かを知りたい!」という欲を叶えましょう。

「西洋医学」と「東洋医学」の違いについて



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そういえば、このブログのタイトルって、いちおう「知識欲」だったんですね。最近いろいろ考察しすぎて忘れてましたー!!(すっとぼけ)

本当は考察書くほうが面白いから書いてただけだったんです。すみません。

久々にこのブログっぽいことしていきます。

 

今回のテーマは『医学』について。しかし医学の専門的な話ではなく、概要というか歴史の話というか。まあ知識なことには変わりないんですが。

 

早速ですが、自分の話をしたいと思います。

 

私にはかなり体の弱った親戚がいます。昔はそれこそ周りにいっぱい毒を吐くような人だったのですが、災害で家がなくなり、仮設住宅に移動したあたりからおかしくなっていきました。

自分のことが自分でできなくなる……ということを弱ったというなら、まさしく弱っていました。いや、弱っています。

ヒトと話さないで、一日中テレビを見ていたからでしょうか、脳の萎縮が始まっているということでした。まだ72歳なのに。

医者にかかりました。眠れないからと睡眠薬を出してもらっていました。精神的に不安定だからと安定剤のようなものも処方されたそうですが、飲んだのに一向に良くなりません。いつも飲んでいた薬の中には認知症の薬もありましたっけ。

 

さて。

暗い話は置いといて、先に進むことにしましょう。

ずばり、「西洋医学と東洋医学の違い」です。

 

西洋 VS 東洋

一般的な話、西洋と東洋の考え方は反対であると言われます。反対とはどういうことでしょうか?

それをひとことで説明するなら、「対象自体」と「関係性」の違いだと言えるでしょう。西洋人は実体に着目し、東洋人は関係性に着目する、と。

 

皆さんが「こいつ何いってだ」みたいな顔になっているのがわかります。画面の向こうからでも。

 

大丈夫です、今から説明しますから。

 

 

実体と関係

これから話すことはとっても一般的で抽象的ですが、よーく聞いておいてください。

ヨーロッパ的な考え方というのは「実体」です。実体に着目します。まず何をするにでも実体があって、実体同士の関係性はその後に来ます。

実体というと難しいので、「モノ」と言い換えてもいいでしょう。

モノがそこにあるということを存在と呼びます。存在について知ること、理解することを認識と呼びます。存在も認識も哲学において非常に大事なキーワードですが、哲学が生まれたのはヨーロッパ的な考え方によるもの、とも言われています。

人間が生まれもって平等だとする考え方……言い換えれば、カントの『人間の本質は自由である』という考え方さえ、一人の人間という存在を一つの存在として認めたことによります。まず存在があって、それからの社会、世界なのですね。

 

今の人たちも人権だ何だ言ってますが、その根底にはやはりこういう考え方……実体を見る西洋の考え方があるんですよ。

 

もう一度言いますよ。

「モノ自体に着目する」というのが、ヨーロッパ的な考え方。

 

それとは逆に、東洋的な考え方というのは「関係」が先行します。つまり、実体が最初にあるのではなく、関係があって、関係の中で人は生きているのだ、と。そう述べているわけです。実体は関係によって生かされている、決して実体が関係を生み出すのではない。

これが東洋の考え方です。

 

縁起という考え方が仏教にはあります。日本人には馴染みが深い言葉です。実は略語なんですよ、知ってました?

因縁生起の略です。じゃあ因縁生起とは何か?

他との関係によって生起することです。

仏教では自分といったものや周りの人間、さらには仏さまさえ「縁起」という関係性によって存在しており、自分の本質や実体はない。全ては「空」なのだと説かれています。

 

なんだか不思議な考え方だと思いませんか?普通逆ですよね。

「自分というものが存在していて、周りに人がいて、互いに関係を作っている」と考えますが、仏教をはじめ東洋の考えは逆なんですよ。関係ありき。

 

 

こう例えましょう。いくつかの粘土のボールと、竹ひごがあります。

ボールに竹ひごをくっつけて、そこに別のボールをくっつけて、別の竹ひごがくっついて……としていくと、ボールと竹ひごでできた『一つの物体』なるものができます。

このとき、まずボールに着目し、ボール同士を繋いでいる竹ひごは二の次、これが西洋。竹ひごに着目し、ボールは竹ひごの端っこにある物体、結節点でしかない。これが東洋。

 

西洋医学の考え方

で、さっき哲学における存在の話をしました。後日話しますが、何やかんやあってデカルトさんはこう考えました。

「自分の存在だけは疑うことができない。自明だ」と。

これを根拠に彼は物心二元論を展開することになります。難しい言葉ですが、わかりやすくいうと「自分のココロと自分のカラダは別物だ」という説です。

もっというと、「人間は精神という実体と、身体という実体からできている」ということ。

そして、この時期……物心二元論が展開された時期は、まだ精神のほうが上でした。彼は「考えるということは精神を働かせることだ。考えることによって、人間は人間たりうる」と述べています。

物質主義代表の科学ですが、この時期はまだ「精神」のほうに焦点があった。

 

しかしこの後らへんから雲行きが怪しくなってきます。

彼は以下の現象について、自分の唱えた物心二元論では説明できなかったのです。

「学校に行きたくないと思ったとき、お腹が痛くなる」

「トイレに行きたいと思ったので、トイレに行く」

 

心と身体は別物であって、互いにモノとして独立している(あ、西洋の考え方だ)。独立しているはずのものが、互いに影響を及ぼし合うのはおかしいですよね。彼はのちに、松果体(しょうかたい)というところで統合されていると説明しましたが、どうにも要領を得ませんでした。

 

しかし時はそのまま流れ、彼の論の焦点であった「考えることが人間を人間たらしめる」というものはなんとなく無視され、人間を二つに切り分け、身体、心を独立した「モノ」としてとらえる近代西洋医学が生まれました。

 

いや、身体、心の2つだけではありません。身体についても、いろんな部位に切って(還元主義)、そのそれぞれについてみていくようになります。

関係としての部位ではなく、分解された結果としての部位。

 

そのため、「先生胃が痛むのですが」と言えば、近代西洋医学ではまず胃を見ます。

なにはともあれ、病気というのは一つの臓器、一つの器官の不具合だ。身体を細分化して、細分化されたものをそれぞれに見ていくわけですね。

で、その後薬を処方。これは当然「胃に効く」お薬です。

 

東洋医学の考え方

どーもうさん臭く思われている東洋医学ですが、こっちは西洋医学とはまるきり逆です。西洋医学が身体と心を切って考え、さらに身体も細分化するのに対し、東洋医学は「身体そのもの」を「一つの生命」として捉えます。分解しません。

 

東洋医学では、気の流れというものを見ます。

ふわーっとしてるなぁ。そう感じるのはやっぱり、私たちが西洋医学にどっぷり浸かっているからなのでしょうか。

気の流れというものがあって、それが身体の血や水の流れに影響している、という考えです。まあ早い話、「心が身体に影響している」つまり「心と身体は関係しあっている」というもの。ね、逆でしょう?

 

そして、西洋では「支配すべき対象」である自然を、そうは捉えませんでした。

自然は人間を生かしてくれるもの。

「自然の中の人間」「自然と関係する人間」として考えます。

具体的に言えば、大自然に適応した住環境を考えたり(これが風水)、季節からの影響を考えたり。

 

あとは方位と関係する人間というのもありますよ。方位と人間の関係を探る、気学というやつ。時間と人間の関係なら四柱推命。身体との関係なら針灸やら漢方薬やら。

 

胃が痛いと言えばこっちはまず気の流れを見ます。触診というやつ。

いろんな関係を鑑みて、総合的に判断を下した結果、薬が出ることもあります。漢方薬です。

しかし、西洋の薬とは違い、あくまで「人体の気の流れ」を整えるためのものです。もやもやしてるなぁー。

 

ちなみに、風邪になったとき、西洋ではその原因をウイルスや病原体に求め、風邪の症状を抑える薬を出しますが、東洋ではやっぱり気の流れを見るそうです。で、ウイルスじゃなくて周りの環境に原因を見る。人間は関係の中で生きてますから、周りに求めるんですね。

 

もっとわかりやすいのは「ガン」への処置。ガンができたら、そこを取り除きますよね。そうじゃなければ薬を使ってガン細胞の繁殖を抑え、死滅させる。つまり、「身体」という独立した部位に対し、「ガン」という独立した部位が悪さをしている、と考えます。これが西洋医学。

 

対して東洋医学は、切除のような(言い方悪いですが)攻撃型の治療は行わない。なぜなら、「病は気から」というように、東洋医学では、全ての病気は気の流れによって引き起こされるものと考えるからです。不健康……もっと具体的に言うと、運動不足、食生活、精神的、肉体的疲労などの「気の流れを悪くするもの」が、病気を持ち込みます。

よって、これら生活習慣や食生活や住環境などを総合的に判断して、治療に臨みます。

※癌患者全員がそうだとは限りません。東洋医学ではそう考えるんだよー!というだけですので、悪しからず。

 

どっちがいいのか

で、結局どっちがいいんだよ!

という質問もあるでしょうが、私は決められません。西洋医学の考えではまるきり無力だった心の問題を、東洋医学がさっぱり解決したり、その逆もあったからです。

 

しかし、心の不調ということになると、薬を飲むよりも、気の流れを考えた方がいいような気がします。あ、気がするだけですよ。最初の親戚の話ですが、こんなにボケていても、友人と話したりするときの顔は心底楽しそうでした。

もしかすると、この人に必要なのは薬なんじゃなくて、他者との関係なんじゃないか?と、そう思ったものです。それが本当に正しいかどうか……というのは、ちゃんと調べないとわかりませんが。

 

 

とりあえず、西洋と東洋の考え方の違いを、医学という学問の上で述べてみました。

もっとも、最近では両方のいいとこ取りをした治療も、がんがん進められているそうです。これからの医療に期待大!ですね。

 

それでは。