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数学や物理の「公式丸暗記の弊害」って、言うほど弊害かね



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普段から中学生、高校生などに数学、物理を教えている者として、思うことがないわけではない。

その中に、昔から手垢がつくほど議論されている、「公式丸暗記の弊害論」がある。

 

しかし、その両者とも極端な議論に終始しており、建設的なものをあまり見かけたことがないので、こうやって筆を執ることにした。

 

まず両者が不毛なのは、「公式丸暗記は弊害ばかりである」「公式丸暗記は問題ない」という根本の価値観が互いに食い違っていることに気付いていない……という点である。これを抑えて議論を進めてみたい。

 

 

教育は段階的であるべき

私が生徒に教えるときのモットーに、「教育は段階的であれ」というものがある。その段階はいつでも調整可能で、段数が多いほど、段階が細かいほどよい。

言い換えれば、「生徒の数だけの教え方を」ということである。

 

逆に、自分の教育を生徒に押し付けた上、「どうして理解できないんだ!」と怒るような人は、教師にあまり向いていないだろう。

 

これが理想論に終わらぬよう、日々、「数学が苦手な子専用の教え方」「普通の子用」「得意な子用」と分けて、全てを研究しながら教えている。

具体的には、「数学が苦手な子用」はより図を多く、イメージしやすいように教える。扱う問題も易しく、日常の例に即したものが多い。

逆に、「得意な子用」のものは抽象的な思考、ある種の推理を必要とするもので、問題も抽象的なものが多い。

 

忘れられた前提

公式丸暗記云々の議論も、本来であればその前提が必要であるように思われる。

即ち、「公式を丸暗記させる相手が、数学ができるのか、できないのか」という前提である。

 

世の中には数学が得意な子ばかりではない。

そもそも覚えられるような記憶力やモチベがない子もいるわけで、そういう子に対し「数学は暗記をするな!!」というのは、あまりに不毛である。

 

(数学を解けない理由にはいろいろあるが、苦手な子の場合

「そもそも公式さえ覚えていない」ということが多い。そういう子に根本からの理解を説いたって無意味である)

 

 

であるから、私が「公式丸暗記の弊害論」を語るときには、その前提に「数学が普通より少しできる子」を置くことにしている。

具体的には数学の偏差値が55以上の生徒だ。

 

そしてもう一つ。

 

残念ながら、数学にはいくばくか、「丸暗記」しなければならない場面が出てくる。

時間の厳しいセンター試験はその一つだ。

確かに加法定理や和積公式を理解していても、その場でいちいち導出するのは時間的に非効率すぎる。

 

そこを全て無視し、「数学ではあらゆる丸暗記をしてはならない」と言い切るのも、なんとも無責任で、実態に即していないだろう。

 

そういうわけで私の使う「丸暗記」はいわば、

 

導出方法とか知らん、ただただ暗記だ!!

 

という、まさに「丸ごと暗記」というスタイルについてのことばである。

これもまた前提であるから、見逃さないようにしてほしい。

 

 

つまり、公式を丸暗記した弊害が突出してあらわれるのは、「数学が人並みより多少はできて、丸暗記しかしていない子」と言うことだ。

 

 どういう弊害が現れるのか。

 

応用力が身につかない

よく言われる「応用力が身につかない」という根拠だが、教えていてこれは確かに実感する。

 

 

数学界の「暗記テストの権化」とも言われてぶっ叩かれるセンター試験であるが、最近は思考力が必要な問題が出題されることがある。

 

例えばこれ。

 

2015年の問題。

 

問題文を読めばわかるが、cos7θやsin7θが当たり前のように、そして唐突に出ている。

これを見て、数学の公式を丸暗記してきた子は、

 

え、七倍角って何!?三倍角しか知らないのにどうやって求めろと!!

 

と、パニクったに違いない。

 

だが数学の加法定理を根本から、つまりその成り立ちから理解して、その上で暗記してきた子(ここで言う暗記は丸暗記ではない)は、

 

はは~なるほど、加法定理の逆なのね

と落ち着いて解けただろう。

 

なぜなら、公式の丸暗記はいつだって左から右方向への理解であり、

 

sin(α+β)=sinαcosβ+cosαsinβ

 

という「形」しか頭にないからだ。

しかし、実態に即し、公式が問題の中でどう扱われているのか知っている生徒は、

右から左への変形も器用にやってみせるのである。

 

そして両者の断絶は激しく、

丸暗記の子が「は?こんなのひらめくかよ!!」と憤る中、

理解していた子は「逆に、7倍角って発想はなかったわ~」と感嘆してみせるのだ。

 

どうしてこんなことが起こるのか、というと。

それは、「公式の導出」に数学的に大きな意味がある、というのも考えられるが、より大きな要因は、至極単純。

 

公式の導出をやると、その分公式が頭に染みつくのだ。

 

数学の公式というのはいたって無味乾燥だから、ごく一部の生徒を除き、見ても「ふーん」としかならない。

が、手を使って実際に自分で求めてみることで、その公式がどのように成り立つのか、理解することができるのである。

 

つまり私が言いたいのは、「数学ができないならば、公式を導出せよ」ということではない。その二つに直接の因果関係はない。

 

が、公式を導出することによって、その公式が頭によく残り、問題を解くときにもすっと出てくる、結果として、間接的に数学の点数が上がる、と。

 

そして、公式を導出した人間は、実際にその公式をどう使うのか気になるところまでがお決まりだから、丸暗記した生徒と比べ、「公式をどう使うのか」、という点で、問題慣れしやすいのである。

 

この一連の流れを、「応用力」と呼んでいるにすぎず、それほど大仰なものではないことがわかるだろう。

 

こうして両者の断絶は証明された。

 

実例

そして、暗記に逃げるのか、しっかり原理から理解するのかは、先生の教え方にかかっている。私はできるだけ理解させる方向で授業をしている。

 

そのよい実例が、かの有名な2乗の公式だろう。中学3年で登場する公式であるが、実は非常に奥が深い。

 

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この単純な公式に、図形的な意味と、実用性とが備わっている。

他の講師から、「これは丸暗記だよ」と教わってきた生徒にそれらを話すと、えらく感動しているようである。

 

 

実用的な使い方はこれ。

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102の2乗を求めなさい、と言われたとき、たいがいの生徒はこれを愚直に計算するが、ちゃんと公式を導出して、どう使われるか理解している生徒は、

 

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このように計算してしまうのである。これだと即答で10404とわかる。

 

図形的な意味では、

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一辺が(a+b)の長さを持つ正方形の面積は、普通にタテかけヨコで(a+b)かけ(a+b)で求められるが、

 

上図の線を引いたところで4つに分割し、それぞれを求めて、

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四つを最後に足すことでも求められる。

 

この二つが等価なのだから、

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ということがわかる。

実は図形的な意味(求め方)もあるのだ。

 

煽られるような弊害はあるのか?うーん。

数学教師の中には、「公式を丸暗記すると死ぬぞ」並みに危機感をあおる人もいるが、私の思うデメリットとしては、実は「応用力がつかない」以外にはないのでは、と思っている。そのデメリットも、「時間の節約になる」というメリットで、ある程度緩和される。

 

基本的な問題さえ解ければ受かるような高校・大学を受ける生徒に、「本質の理解」を求めても、理想論にしかならない場面というのはある。

また、時間が厳しいテストで、いちいち公式を導出させるのは、あまりにも非効率である。

 

そういうわけで、実は、「公式丸暗記するのは絶対にダメだ」という考えも、「公式は丸暗記で済む」という考えも、両極端であることが、おわかりいただけただろうか。

 

折衷案としては、

(数学がある程度得意な子に対し)

  • 基本は公式は導出して、いつでも自分で出せるようにしておく。
  • 時間が厳しいテストでも対応できるよう、三倍角・和積のような導出に時間がかかる公式は暗記して、すぐ出せるようにしておく。

 

こうしておけば、問題への応用力も損なわず、なおかつ対応を早くすることが可能である。

 

本記事では述べなかったが、数学が苦手な子に対しては、

 

  • 公式はまず暗記、余裕があるようなら導出までやってみる。
  • 視覚的にとらえやすい説明を行い、なるたけ暗記に終わらないようにする。

 

という風にしている。

 

この記事が、中学生・高校生諸君や、教鞭をとっておられる方の参考になれば幸いである。