ちしきよく。

雑多系ブログ。みなさんの「何かを知りたい!」という欲を叶えましょう。

英語の「間違った文法」ということばへの違和感



あとで読む

塾で英語を教えていて思うのだが、「その文法間違ってるよ」ということばに対する違和感が半端じゃない。まあそういうしかないからしょうがないんだけども。

 

間違った文法なんてのは存在しない

英語が苦手な方……というよりは、学生時代に英語が「嫌い」だった方にありがちな思い込みかもしれないが、そもそも文法に間違いなんてものはないのである。テストでは厳密に点数がつけられるが、ことばにおける正しさはテストの点により決まったりしない。

ことばにおける正しさは、皆さんが思っておられる以上に、曖昧模糊としていて、恣意的なものなのである。

 

方言と公用語

東京下町のほうに、「来ない」と書いて(きない)と読む地域がある。方言の一種だ。

この読み方は間違っているだろうか。

 

そんなものを考えてもどだい意味がない。

 

事実として存在するのは、「公用語ではこないで、東京下町ではきない」ということだけ。どちらが正しいとか間違ってるとか、そういう話ではないのである。

こないだろうがきないだろうが、そう呼ばなければならない合理的な理由はない。あるのは現象だけである。

 

といっても抵抗があるように感ぜられるのは、恐らく皆さんがまだ「正しい日本語」という感覚を捨てきれてないからだと思われる。

多くの方はなんとなく「日本語」というのを、どこかに確かに存在するものである、と思っておられると思うが、それは誤解である。

日本の公用語は日本語であるが、その中でも日本語の「東京方言」というものが正式とされている。つまり東京方言は日本語の方言の一つである。茨城方言、長崎方言、北海道方言などと対等な位置を占める、ただの方言でしかない。

「絶対的に正しくて純粋な日本語」なんてのは、この世のどこにもない。多数の合意により正式とされる東京方言……否、限界まで普遍化された東京方言のことを、仮に日本語と呼んでいるだけなのだ。

 

これを理解するためのたとえとして、「猫と動物」の話を持ち出してみよう。

f:id:zetakun:20171225072345p:plain

 

猫という動物は確かに存在する。犬も存在する。ラマも存在する。

しかし「動物」という動物は、存在しない。

 

言語もこれと同じで、

f:id:zetakun:20171225072503p:plain

日本語の中に東京方言、茨城方言、岐阜方言などがある。それらは存在するのだが*1、日本語自体は人間の頭の中にしか存在しない。

 

 

そも、正しさとは歴史とか政治に裏付けされた何か以上のものではない。

なぜ東京弁が正式とされているのか?幕府が江戸に開かれ、江戸が栄えたからだ。

徳川家康が岐阜に幕府を開いていれば、恐らく「正しい日本語」は岐阜弁になったであろう。違和感があるように思えるのは、私たちが正式書類や教科書で東京弁、東京方言を見て、「これが正しい日本語だ」と思い込んでいるからにほかならない。

よーするに、東京方言が正式な日本語として採用されるための絶対的な理由はない。どの方言でもよかったが、たまたま東京が選ばれた、それだけのことである。*2

 

言語はふつう無数の方言に分かれていて、そのうちの一つがたまたま選ばれて正しいとされているだけなのだ。正しいものが先にあり、そこから方言が出るのではない。

 

ということは、言語における「正しい」とか「間違い」という概念は所詮相対的なものであることが、容易に理解される。

 

今回、いかに正しいとか間違ってるとかいう概念があやふやなものか、英語での例を挙げて、実感していただこうと思う。

 

三単現のエスが必要な主語they

英語教育で習ったのは"theyは『彼ら』であるから、動詞に三単現のエスはつけない"ということのみである。しかしこの「三単現をつけるthey」は、今までの様相とは全く異なっている。

 

どういうことか。

 

このtheyを用いて、ある種の性的マイノリティの人々も指せるようにしよう、という動きなのである。*3

ということは、今まで学校で習っていた、「theyの現在形動詞にはエスをつけない」(つけたら間違い)自体が、実は正しくなかった、ということが言えてしまう。

 

屁理屈言うな、大多数が正しいと思ってるなら正しいんだよ!という方もおられると思うが、それなら「東京下町方言」だって正しくないことになる。

東京方言が正しいとされてるのはより多くの合意を得たからだ。しかし、ただそれだけの理由で、その他の方言と東京方言を切り分けることはできないのである。東京方言が選ばれるべき絶対的理由がないのだから。 

 

もう一つ、「ことばの変化が人為的な動きかどうか」で正しさを区別できるとする人もいると思うが、脚注にてそれが不可能な理由を述べている。→*4

 

状態動詞にingをつける人達

これは高校の英語の先生から、「実はね……」と内緒話風に教わったことなのだが、英語を母語としない人達の間で、(日本の英語教育では正しくないとされてきた、)「状態動詞のing化」という現象が起こっているらしい。

状態動詞というのはいわば、進行形にすると不自然な動詞で、「5秒後にやめることができない」動詞である。

たとえばlike(好きである)とかbecome(~になる)だとかlive(住む)なんかは状態動詞の代表例だ。

 

しかし英語を非母語とする人達のうち一部は、これにingをつけて"I am living in Tokyo"みたいな感じにするのだと。「住んでいます」を表現するときに、こういう表現も認められるようになってきているらしい。

*5

 

そんなの少数の非母語話者が勝手に言ってるだけだろ!という方もおられるだろうが、英語はそもそもの話者が圧倒的に多い。

地域によって話される英語の文法や単語のつづりや表現はめちゃめちゃ違う。

アメリカでは"theater"だけどイギリスでは"theatre"だ。アメリカのほうが人口が多いからイギリスは間違ってる、と即断するような危うさがある。例え少数であろうと、そのコミュニティの中で合意を得た表現が用いられる(=完全にデタラメなものは用いられない)のだから、正しさを数を以って判定することはできない。

 

ほんとならあと5つぐらい紹介したかったが紙面の都合上省略する。要望があれば書きたいと思う。

 

テストと言語は相性がよろしくない

これは前々から思っていたことなのだが、点数をつけて競争させるテストと、言語の学習は相性があまりよくないだろう。英語に限らず日本語でもそうである。

 

罰札制度というものが沖縄で行われていた。

簡単にいえば、「琉球方言を学校で喋ったら、罰札を首からかける。他の生徒が方言を喋ったのを聞いて、それを指摘して初めて、首にかけた罰札をその生徒に移し、罰を逃れられる」というものである。罰を受けた回数が成績にも反映される。

つまり公用語を沖縄に広めようという目的なのだ。

 

英語教育もこれとベクトルは同じで、いかにホンモノの英語が移り変わっていても、やはりテストでは学校で学ぶ英語こそが正しい英語なのである。三単現のtheyをかけば間違いで、状態動詞にingをつけたら間違いだろう。

定期テストであれば弁解により点数が上がる可能性があるが、入試では残念ながら認められないと思う。

 

何ともならないだろうなあ、と半ばあきらめている状況ではあるが、余裕があれば「こういう用法もあるから、必ずしも間違いとは言えないよ。テストで書いたらバツだけど」と説明している。

例えば、"have been to"が「行ったことがある」で"have gone"が「行ってしまった」と教科書には書いてあるし、センター試験にも違いが出題されるが、Twitterなどを見ているとネイティブもこの二つを混用し始めている感じなので、そういうものは極力教えるようにした。

 

間違っている、正しい、そうやって何かを決めつけてしまうことは、確かに楽かもしれない。採点を人間が行うことを考えればむしろ当然の話だ。

しかしその姿勢が、言語学が苦渋の選択のすえに勝ち取った「相対化」(言い換えれば西洋絶対主義、とでも言える考え方の放棄)のことを、覆い隠してしまわないかと、私は危惧している。

*1:いや、話す言葉は一人一人異なるのだから、方言さえこの世には存在しないと言い切っていいかもしれない

*2:わかりにくいと思うので例を挙げる。愛媛では「掃除時間に机を下げる」ことを「机をかく」という。なぜかくが正式でなく、下げるが正式なのか、絶対的な理由をつけて回答できる人間はいないと思う。それと同じである

*3:日本ではあまり実感できないが、この人heかなsheかなという場面は山ほどある。主語をミスってめちゃめちゃ失礼なことを言う恐れもあるから、この配慮はことば狩りではなく合理的であると思う

*4:人為的なら正しくない、自然発生的なら正しいという判定を、全ての語において行うのは現実的でない。それにいくら発生が人為的であっても、それをみんなが使う・使わないようになるためには、大多数の合意が必要である。どこで人為と自然を切り分けるのか、という問題も未解決だ

*5:もちろん正しいとされる表現にも、状態動詞にingをつけることはできる。しかしそれは「本当に一時的なとき」(Ken is being kind to other people ケンはいつにもまして他人に親切だ)とか「動的なとき」(I'm lovin' it これおいしいね)とかにしか使えないはずだった