ちしきよく。

雑多系ブログ。みなさんの「何かを知りたい!」という欲を叶えましょう。

メルカリの読書感想文出品は「規約違反」「倫理」以前の問題では



あとで読む

というようなことを考えたので備忘録代わりに。

www.asahi.com

「夏休みの宿題に」メルカリに読書感想文、数百円で出品 というタイトル。

これを読んで思ったのは、「そもそも倫理教育上問題とか、規約違反とか、そういうとこじゃないよな」ということだった。

 

サービス内で検索すると多数表示され、「夏休みの宿題にどうぞ」「早い者勝ち」の売り文句も。運営会社は「法律や規約に触れないので販売は可」と説明

 

まあそりゃ、誰かが自由に書いた文書なので、出品や販売は規約違反じゃないんだろうな。

これに対して、「自分で書かないと意味がない」という旨のコメントも見られたが、私はあまり同意できない。

 

 

超正論:「自分でやるべき」論

まず教育に限らずほぼ全てについて言えることであるが、「他人に任せきりにせず自分でやるべきだ」という考え方は、正論である(と、思う)。

 

特に今回は教育のことについてなので、

「宿題は親に任せず、自分でしろ」

「自由研究は親に任せず、自分でしろ」

「工作は親に任せず、自分でしろ」

「読書感想文は親に任せず、自分でしろ」

 

こういうとそれは正しいように思えるし、事実、自分でできるなら自分でやったほうがいいだろう。

なぜなら宿題は生徒自身に与えられたタスクであって、他人がこなすようにはできていないからだ。宿題が宿題であり続ける限り、「自分でしろ」という考え方は論理的には正しい。

 

 

だがしかし、その正しさに気を取られ、大事なことを見失っているような気もする。

大事なこと……いやむしろ、大事な「問題」、大事な「どうしようもないこと」と言い換えたほうが良いかもね。

 

 

その問題とは大きく分けて三つ。

 

生徒たちが感想文の書き方を知らないまま書いている ということ、

そして、

感想文の強制は、「読書」と相性が悪いということ、

最後に、

メルカリで買うような親子にはその正論は伝わらないだろう ということ。

 

 

読書感想文の書き方を習っていない生徒たち

「読書感想文書けないよ~!!お母さん書いて!」と頼む生徒のだいたいは、読書感想文の書き方をちゃんと知らないのだ。

という私も、ちゃんと知ったのは小学4年の頃だった。これでも早いほうだろう。

 

キャラものの「読書感想文の書き方」という本を読んで、ふむふむそう書くのか~!と一人感動していたぐらいだ。

 

この原因には当然、「先生たちがちゃんと教えられていない」というのが考えられる。私も、小学1年の時から読書感想文らしきものを書いていた覚えはあるが、その書き方をしっかり習った記憶はない。

 

主語が大きすぎる!と憤る人は、ここで一旦目をとめて、

「読書感想文」と検索窓に入力しよう。

きっとかなりの上位に「書き方」「書けない」などが出てくるはずだ。

 

……というか、今でもよくわかっていない。

あらすじを書くのはもちろん駄目としても、優秀賞に選ばれるような作品は「感想」の域を超えて「どう行動したか」「どう変化したか」まで述べられていて、自分語りのような印象を受ける。

 

あれ、感想文って何だっけ?とたまに思う。

 

一番私の頭にストンと落ちたのは、例の小4のときの本で、

「読書感想文というとむずかしそうですが、そんなことはありません!自分がその本を読んで感じたこと・思ったことを、理由をつけていえばいいのです!

感想 というのだから、それで良いのだろう。

 

だが優秀賞に選ばれるにはそれじゃ不十分らしい。マジでよくわからん。

 

 

そして、これを書く意味もまた、よくわからん。

読書そのものと、感想文の強制の相性

というのも、読書という行為そのものが受動的であるのに対し、感想文執筆は主体的であるからだ。

この両者はもともと相性が良くないため、特別な訓練をしない限り、書くのが苦痛であっても仕方がないと思う。

 

 

私は読書とは、何らかの知識をインプットしたり、誰かの人生をレールにそって追体験したり、そういう「受け身」的なものだと感じている。

しかし感想文は違う。読めばスラスラことばが出てくるなんてことはなくて、そもそも「これを読んで何を感じろというのだ」という本もある。

主体的に何かを感じ取ろうとし、考えなくてはならない。

読んだ瞬間からことばが自発的に紡がれる、そんな良い本に出会うことなんて、残念ながらほとんどないのだ。

 

 

一番手っ取り早いのはブログを書くことだと思うが(笑)、文章を普段書きなれない生徒に対し、やり方もロクに教えずに、ただ「書いてこい」とだけ言って投げつけることが、どれだけ効果の薄い方法か……というのは想像に難くない。

 

本を読みなれていない生徒、そもそも全く本を読まない生徒は、半必然的に「課題図書」を読むことになるのだが、これがまたクセがあるというか、「感想文書けるかよ!!」ってものがあたることもある。

 

個人差はあるが、「課題図書がつまらなくて読むのが苦痛だった場合」は、かなり厳しいだろう。

以前私が受け持った生徒に、「先生、読書感想文の書き方がわからないんです」という子がいた。中学生。云々と説明してやったら、「読んでる本がつまらなくて」と言う。

「自由図書で出せば?」と提案すると、「本を全く読まないので、どんな本がいいかわからないし、もうこれ以上読みたくない」と泣き言ばかりなので、一応読みやすい数冊を教えておいたか、ちゃんと書いたかしら。

 

世の中にはきっとこういう子もごまんといるんだろうな、と今回のニュースを聞いて実感した。

 

結局、「読書好きな人が感想文も得意とは限らない」し、「本はほとんど読まないけど上手に書けちゃう」人もいるから、読書好きかどうかのバロメータにはなっていない。

であるし、生徒のほうだって、書き方がわからないから適当にあらすじ書いて終わり!って、時間の無駄なようなことをやってしまう。

 

一体だれが得するのだろう?と、冷めた目で見ている教育者(の端くれ)失格の私なのだった。

 

ともかく、本来は受動的である読書について、「何か(表立って書けるようなこと)を感じること」を強制し、やり方も教えずに書かせる……という姿勢は、しごく暴力的であるように思われる。

知り合いに、山田云々という人のラノベで読書感想文を書き、「人がいっぱい死んでとても残酷ですが面白かったです」という内容で提出、手直しを食らったという人がいて、その話を聞いたときにはいろいろと笑ってしまった。

 

そして最後に。

正論の通用しない(≒倫理も何もない)場面

自分でやれ という正論をコメント欄にぶつけて悦に入るのは勝手だが、それは現実世界の他人親子に言って構わないことがらでもない気がする。

倫理だとか論理だとか、そういうもので片付けられない領域が、この世にはごまんと存在するが、読書感想文メルカリ出品問題もその一つだろう。

 

例えば、 「子どもに読書感想文を書かせるなんて時間の無駄だわ!」と思っている親。今までの議論からするとそんなの支離滅裂と思われるかもしれないが、ある意味で筋は通っている。

頭を絞って適当にあらすじ書いて終わり!って無駄なことさせるよりは、他のことをさせたほうがマシだという考えだとか。

以前、受験勉強に打ち込むため、小学校高年次の宿題を代行業者に頼む親が問題になってたけど、それと同じか。

 

親が暇なら手伝ってやるのだろうが、そんな時間もなければ、メルカリの感想文はまさに渡りに船。買うだけで済むのだから、これ以上楽な話もない。

 

親子で「終わらせることが第一」という場合も。これは主に内申点で首根っこ掴まれた中高生がやりがちだと思う。

「自分でやれ!」ってのは正論だけど、そんなごにょごにょ言う暇がない。

つまり、宿題を終わらせることがまず第一であり、バレても構わない、とりあえず終わらせなくては!と必死な場合。

結局評価って「出したか・出してないか」だから、出しさえすればよいのだ。

先生もいくらクロに見えても、証拠がない限り「未提出」扱いにはできない。

 

そういう苦々しい事情もあると思われる。

 

 

規約違反・倫理 以前の問題

これまであげてきた3つの問題点をおさらいしよう。

 

感想文の書き方を知らない問題

 

これは公教育に任せるしかない。「その本について感じたことを、理由と一緒に考えて書いてみよう」という、感想文の書き方を教えるのは勿論、できるだけ本に親しみやすい環境を作る必要がある。十把一絡げにいくことでも、3日で解決することでもないが。

親が教えられるならそれが一番良いと思う。別の本で手本を書いてあげるのも手段かも。

 

感想文の強制が「読書」と相性が悪い問題

 

そもそもの意義を問うものなので、解決は不可能。

個人的に「読書感想文」なんていう、何のために書くかわからないものより、「好きなこと新聞」みたいな、子どもが個人的に興味を持てるものを書かせたほうが、文章力がつくと思う。(し、行儀の良い感想文より、読んでいて面白い)

ジャニーズ好きの子は、同世代の子よりはるかに文章力がある!みたいな(真偽不明)ツイートを見た。それが本当なら理由の説明は容易。

自分の好きなものを伝えるときほど、ことばに頼ることはない。

他にも、「外国語を上達させたくば、その国の彼女をつくれ」なんてのも聞くし、あながち間違ってないと思う。

 

メルカリで買うような親子に正論は伝わらない

つまり、その親子のあり方というか、思想の問題であって、「倫理」という2文字で解決できるなら、とっくに解決しているだろう。

駄目なものを駄目だというのは当然だし、駄目だということをやめてはいけない。

がしかし、ごく一部の「倫理なき親」に、それを求めても仕方がないこともある…というのは、理解しておきたい。

 

当然ながら規約違反ではないし、ましてや法律で取り締まれるはずもない。

しかし、擁護してはみたが、出品者側に理解を示しているわけではない。

買う人がいるからといって何を出品してもいい!というのは、いささか倫理観がないなと思う。

 

やはり、宿題は自分でやってこそ宿題なのだ!

 

というのが私の根本思想なので、誤解なさらぬよう。

 

 

 

需要の無い近況報告ですが、最近私事で別のことを勉強し始めたため、ブログに割ける時間が少なくなってます。申し訳ありませんが、コメント欄の返信などが遅れるかもしれないです。

それでは。