ちしきよく。

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歴史・生物・心理学から差別が起きる理由を考察した



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人間の中に差別は必ず起きてしまう?

前回のおさらい。

 

www.chishikiyoku.com

 前回、論理的に

「価値観が差別を生み出している」ことを証明……?示しました。

価値観とは一般的に感情により両者を比較することである

差別とはマイナスの感情……「侮蔑」で両者を比較することである

よって価値観が差別を生み出す

と。

だから解決策を示そうぜー! 

その前に、差別は人間からなくならないという命題をいろいろな観点から見ていきたいと思います。

差別がなくならない理由―歴史的観点

差別というのは人間が人間である限り逃れられません。それはまず歴史が物語ってます。

最初に人間に身分の違いが生まれたのはいつだと思います?結構早いんですよ。

人間が「余分な食べ物を作れるようになってから」です。

意外でしょう?

どうして食べ物と身分がつながるのか、ですね。

 

まず、余分な食べ物が生まれれば、働かなくて済む人が生まれます。働くというのはこの時代では当然……

食料を採集したり、栽培したりすること。

今の時代で言う農家でしょうか。明日の食べ物に困るような時代だと、総出で食べ物を探しに行く必要があったのですが、村全員が一日で食べきる量よりたくさん採れて貯蓄できる余裕が生まれれば話は別。

 

まず最初に神頼みをする人たち……すなわち神官が働かなくて済むようになりました。昔は雨や干ばつは神様が起こす現象だと思われていたので、豊作を願ったり、干ばつが起きたときには鎮まるよう頼んだりする人たちが必要だったのでしょうね。

彼らは特別な力を持っているとされていました。神様と話すことができる、神様からのお告げをもらっている(預言者)人たちです。

日本では巫女さんがその代表ですね。

今でいう巫女さんは神社でお手伝いをしている人……のようになってます。

余談ですが、私が初詣に行ったとき、アルバイトで雇われていたであろう巫女さんは、白衣の下から思いっきり部活動のジャージが見えてました。(透けて見えました)

萎えました。

しかし、昔の巫女さんは神様からのお告げを聞いたり、占いや祈祷(祈ること)をしたりするのが主な役割。

また、ハイキングウォーキングで有名な卑弥呼さまー

も、神様の声が聞こえるとされてました。奥でコソコソ何やってるかわからなかったので、神様と話せる設定が出来上がっていったんでしょうか。それとも本当に聞こえたんでしょうか。

その次に村を守る人たち……俗にいう戦士たちが農業を免除。何かが起きたときは村を守る必要があるので、農業なんてやってる場合じゃないんですね。

他にも、特殊な能力を以って何かを作り出す人たち……職人と呼ばれるような人たちも農業を免除されました。

 

つまり、普通の人たちとは違った能力、統率力、体力を持つ人たちが上の階級に行く。みんな仲良く農業の時代は終わりで、上の階級の人間が下の人間をこき使う、と。階級の違いは価値観の違い、つまり差別につながるわけです。

金を稼げる人間と稼げない人間。資本主義でその差はますます大きくなります。金を稼げる人間たちは同じ類の人間とつるんで、ますます資産を増やす。稼げない人間はどこかにやとわれてこき使われる(と言うと言い方悪いですが)。

ですから、歴史的に見ても差別がなかった時代なんてほとんどなかったんですね。もし資本主義がなくなって、物々交換の時代に逆戻りしたとしても、やっぱり差別というのはなくならないはずです。

次はハンムラビ法典。

バビロン第一王朝という、紀元前1900年頃からできた国で、ある法律の集大成が完成しました。それがハンムラビ法典。

俗にいう「目には目を、歯には歯を」で有名ですが、実はもう一つ特徴があります。それは

差別があった

ということ。ハンムラビ法典の第205条にはこう書かれています。

奴隷が自由人(じゆうじん)の頬を殴ったら、奴隷の耳を切り取る。

 

 もしかすると現存する世界最古の差別の証拠かもしれません。いわゆる「同害復讐の原則」つまり目には目を歯には歯をが成立するのは、あくまで同じ立場の人間同士でしかなかったわけですね。厳しい。

他にもいっぱいありますよ。歴史から見れば人間に差別がなかったなんて言うほうが難しい。文字数がもったいないので次行きます。コメント下されば無数に例を差し上げます。

ヒトラーのユダヤ人差別も、差別が起きてしまった例として有名なものです。差別なんてもんじゃなく、大量のユダヤ人がユダヤ人というだけで捕らえられ、施設送りにされました。

差別がなくならない理由―生物学的観点

社会性の高い動物ほど差別がよく起きるようです。社会性が高いというのは

社会的生活を営んでいるか、であり、それは

集団としてどれだけ統率のとれた生活をしているか

と言い換えてもよろしい。

つまり……イヌ、サル、チンパンジー、オオカミなどの動物はより差別が起きやすいわけです。

イヌの場合、尻尾によって感情を判別するわけですから、尻尾の短い個体や尻尾の無い個体は仲間はずれにされやすい。犬を多頭飼いしている人ならわかると思います。イヌは嫉妬という高度な感情も備えており、社会性は高いんですね。

サル、チンパンジーもやはり知能が高く、統率のとれた集団で暮らしています。彼らの場合、統率をとるための存在、つまりリーダーが必要になる。時として、雄の中でも特に体の大きい存在2匹がリーダー争いをすることがあります。集団には緊張が張り詰め、時には群れとしての形……秩序が崩れてしまいかねない状況にもなりえます。

こうしてリーダー争いに勝った個体が見事集団を統率する存在になるわけですが、負けた個体はどうなるのでしょう?

仲間外れにされるようですね。群れを追い出されるのです。

群れで生きている動物が群れを追い出されたとて、一匹で生きてはいけまい。人間だって同じでしょう。おそらくどこか遠いところで亡くなるのでしょう。ご冥福。

オオカミも同じ。リーダー争いに負けた個体、うまくコミュニケーションがとれなかった個体が一匹で暮らしています。一匹狼の語源ですね。

彼らが感情によって差別をしているかと言われればそれはわかりませんが、仲間外れという面で見れば差別が起きているといえるでしょう。

人間もやはり生物であり、仲間外れ・差別の本能はDNAに埋め込まれているといってよい。「ズートピア」でミスター・ビッグが言った一言ですね。

「動物は進化したが中身は昔のままだ」と。

 

差別がなくならない理由―心理学的観点

先ほど差別―仲間外れのことを話しました。高度に理性や知能が発達した人間でも差別が起こってしまうのは、人間の心の中の動きにも関係があるようです。

これを説明するための概念がユング心理学の「影(シャドウ)」。

簡単に言えば、自分自身の対極にある、自分が認めることができない暗黒面のことです。

例えば「ウジウジした人」や「他人の悪口を言ってばかりの人」を見たとき、私たちはよくイライラさせられます。これを説明するのがシャドウという考え方。

私たちは「他人の悪口は言いたくない」とか「小さなことでクヨクヨしたくない」と思ってはいます。しかし実際、小さなことを考え込んでしまうし、他人の悪口を言ってしまう。

こういう影の部分は、他人という存在によって自分たちに見せつけられる。逆の言い方をすれば

他人の存在が、自分の中の影の部分を映し出しているわけです。いやだねえ。

いや、違う。実際には逆です。

自分の影の部分を、

他人に勝手に投影している

と。投影されたほうはたまったもんじゃありませんが。

仲間外れについても同じことが言えるようです。いじめられている人を見て、

そこに「仲間外れにされる劣等感」を投影します。早い話、

俺は私はあんなやつにはなりたくない

と思うわけです。その認識がクラスで一致したとき、いじめが、仲間外れが、差別が起こるわけですね。もちろんこれは卑怯な行為です。

しかし、いじめによって生まれる連帯感というのも確かに存在します。これは先ほど歴史的観点で述べたヒトラーのユダヤ人差別ですね。ドイツという国家を、ユダヤ人という仮想敵をつくることによって、団結させようとした。

もしくは「いじめを密告すれば自分が仲間外れになるかもしれない」と考え、互いにけん制しあっているというのも考えられます。人間は他人より自分のほうがかわいいので、自分を犠牲にしてまで他人……いじめられている人を救ってあげようという気にはならないのかもしれません。

 

このように、いろんな観点から見ても、やはり差別というのは起こってしまう、と考えるのが妥当のようです。

本当は今日で完結させるつもりだったんですが、あまりに具体例が多かったのでまた次回にします。