ちしきよく。

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チキン南蛮は鶏肉じゃなくてソースが本体説



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ずっと気を張って書いていると疲れてくるので、今日はどうでもいい記事。

皆さんもリラックスして読んでほしい。

 

かなり前、食堂でチキン南蛮を頼んだら、「唐揚げにタルタルソースがかかっただけのナニカ」が出てきて、「これがチキン南蛮かー!!」と叫びたくなったことを思い出したので、今日は食べ物について扱ってみよう。

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(https://cookpad.com/recipe/102203より。ああ食いてえ……)

 

チキン南蛮とは

チキン南蛮をご存じでない日本国民はきっと5%もいないのではないだろうか……。私の親戚が住む宮崎県延岡市発祥の郷土料理が全国区にまで広まったもので、新鮮な鶏のモモ肉(またはムネ肉)を揚げ、南蛮酢にさっと通し、自家製の(多くはタマゴ、タマネギ、マヨネーズ、キュウリ等を和えた)タルタルソースをかけて作る。

料理方法はただ「漬ける」「揚げる」(と「和える」)だけで、ごまかしは効かない。

肉じゃがの次ぐらいに料理人の腕がわかる料理と言ってもよかろう。

唐辛子を辛み付けに入れるところもあるとWikipediaには記載してあったが、私は見たことがない。

 

その親戚の家に行ったとき、「本場」のチキン南蛮を作ってもらったことがあるが、南蛮酢とタルタルソースがまた旨いのなんの。新鮮な鶏肉にしっとりと絡みつく衣、その油っぽさを上手い具合に中和してくれる酢と、酢独特の臭みをちゃんと消してくれるタルタルソース。

鶏肉特有の臭みがなく、やはり本場の鶏は違うなと感心していたら、ちゃんと匂い消しをやるのだそうで。現地の人はすごいよ。

 

それに比べて食堂のチキン南蛮ときたらどうだ。使用者たちの優しさに甘んじて(出典不明)、衣の付け方さえびちゃびちゃな唐揚げのものにタルタルソースをかけただけで、「チキン南蛮」という名前だけを頂こうとするその精神の未熟さ、卑しさよ。

端的に言って都合が良すぎるのだ。

おまけに甘酢がついてなかった。衣は百歩譲るとして、「南蛮」の名を拝するからには南蛮酢が付いてくるのが当然だろう!

なお780円でした。二度と行かねえ

 

だが、このような例は意外と多かろう。私も既に5回ぐらい、「タルタルソースを唐揚げにかけてみましたテヘッ☆」という、屁でもない料理をチキン南蛮と偽って出されたことがある。

この人たちは本当に本場のチキン南蛮を食べたことがあるのだろうか。化学調味料に誑かされて麻痺しきった舌が、ほっぺたが落ちたことはあるか。

否、ないだろう。あればとっくに料理人としての誇りを取り戻し、マジモノのチキン南蛮に原点回帰しているはずだからだ。

 

 

……などと思っていたら、その考えさえ思い込みであることが証明されてしまった。

その親戚が住む遠い遠い宮崎県に合宿免許を取りに行ったときのことである。

昼食にチキン南蛮が出てきたのだ。

……唐揚げに、甘酢と、タルタルソースをかけただけの。

 

これが本場か!誇りあんのか!

 

というのが私の本音であったが、その不安な期待は見事に裏切られてしまった。

これがまた、旨いのだ。

チキン南蛮はその構造上、半必然的に衣と鶏肉が分離してしまう運命にある。なぜなら一枚の分厚い肉をそのまま食べるわけにはいかず、だいたいは包丁でタテに切るからだ。ちょっとつまんだだけですぐに分離する。これはもう、生まれもっての宿命、前世からのカルマと呼ぶしかない。カルマ南蛮。

 

唐揚げはその面違う。衣の相当厚いものでさえなければ、簡単には剥がれない。

そして、衣のしっとりしたチキン南蛮こそモノホンだ!と疑わなかった私だが、揚げたてサクサクの唐揚げチキン南蛮の前には敵わなかった。

香ばしい衣の香りにお酢の甘酸っぱさが作用して実に旨いのだ。それを後押しするかのようなまろやかタルタルソース。マヨネーズの酸味をタマゴが打消し、変わりばんこに登場するはみずみずしいキュウリ。全体的に味付けが濃く・くどくなりがちなこの料理を裏で支える役に徹している。味の組み立て工場や~

 

私の箸はもう止まらなかった。その日、人生で初の「ご飯4杯おかわり」という偉業を成し遂げたので、教習車のシートベルトを締めるときに結構きつかったのを覚えている。

ご飯の山に登頂する夢を見た。

K(コメ)2登頂。

 

……というような感じで、私のチキン南蛮観は結構ズタズタというか、まあいちいち話さないけどこの前にも食のコペルニクス転回が何度か起こっていて、そのたびに「やっぱ衣はサクサク派やな」「いやいやしっとりか」「肉はプリプリしてるのが勝ち」「ちょっとぐらい固くないとね」なんて、きっと某岩田純一さんも裸足革靴で逃げ出しそうなウワキ南蛮人生だ。

しかし今回、ついに止揚の極みにたどり着いたので、ここに報告しておく。

 

ソース(甘酢・タルタルソース)が旨ければ、だいたい旨く感じる

 

のだと。

すなわち、今までに起こってきた価値観の転回は全て「衣」とか「肉」に関するものであり、「ソースが美味しいチキン南蛮に対して言えば、あまり文句はなかったナァ」と気づいたのだ。衣がサクサクだとか唐揚げ風だとか肉が柔らかいとかいろいろ要望はあるにしろ、その要望は全部「ソースが美味しい」という前提の上に成り立っているのだと。

肉が主役のように見え、実は肉を裏から全力で支えている美味しいソースたちがなければ、肉もただの唐揚げか、それに近い何かと化してしまう。

逆に言えば、衣がだいたいびちゃびちゃでも(まあできれば食べたくないけど)、ソースが美味しければ、口にできないこともないのではないか、という思いつきである。近いうちに実験してみようと思うが、いかんせん油料理は作るのが面倒なので、いつになるやら。

 

 

皆さんのお考えを仰ぎたい。

 

……もちろん、もう一つの説もあるにはあるが。

 

第二の説・味音痴

単に私が味音痴で、悪い言い方をすれば「ソースにごまかされているだけなのだ」という説。ただこれは私だけでない、その背後にあるソースの権力をも否定することになる。

……すなわち、ソースにごまかされているだけだ、と私を批判する人間は皆、その時点で、「ソースにごまかされない繊細な舌を持つことを自負します」あるいは「本物のソースを見分けられます」という書類にサインしているも同然であり、南蛮酢やタルタルソースの魔力から、一生逃れ続けなければならなくなる。

私は既に自分が味音痴であることを認めかけているが、それと同じくらいにソースの魔力にも取りつかれている。

みんなもほら早く食べて、幸せになろうよ。

 

歴史や語源など

チキン南蛮の「南蛮」は、魚の南蛮漬けという料理名に由来するようだ。そして南蛮という言葉はさらに、江戸時代、ポルトガルやスペインを指し、油やスパイスやハーブを使う「南蛮風の」料理ということで、南蛮漬けになったという。(コトバンクより)

チキン南蛮という料理は世界史と日本史の交差点で生まれたが、それは必然的だったと言ってよいだろうか。鶏肉は昔の日本では食の対象としては見られておらず、(※)「チキン南蛮=鶏肉=日本料理=伝統的」と見るのは早い。

むしろ、鶏肉を南蛮漬けにするという斬新すぎる発想を思いついた当時(昭和30年代のとある宮崎の食堂の)料理人に賛美を送ろう。

 

送ったあと、皆でさあ食そう。本場のチキン南蛮を。

コメントなどもらえれば、オススメの店ぐらいは紹介できるやもしれませぬ。

 

それでは。

 

(※)

お肉のことならなんでもわかる!食肉なんでも大図鑑

より。