読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ちしきよく。

雑多系ブログ。みなさんの「何かを知りたい!」という欲を叶えましょう。

ブログが炎上する経緯や要因を、時系列にそって分析してみる【その1】



あとで読む

 

f:id:zetakun:20170114140910p:plain

どうも、ぜーたです。

正月からいろんな記事を読んできましたが、どうも「記事の炎上」にはいくつかの要因や流れがあるような気がしてきました。炎上ブロガーとして知られている……というか、その言説がもう炎上しそうな某イケダさんはともかくとして、普通のことを書いているような記事も炎上しているのを見て、私は

どうしてこの記事は炎上したのだろう?

と考えました。

 

 

その結果、ブログが炎上する原因やら、炎上するまでに起こりうる経緯について、いくつかの考察が得られましたので報告いたします。

ブログを書いていらっしゃる方はもちろんとして、「炎上芸かどうか見極めたい」という読者のみなさんにも役立つ内容だと信じています。参考になれば幸いです。

 

ちなみに、タイトルからもわかるとおり、あと1回投稿します。叩くのはそれを投稿し終わってから、でお願いしますね。

 

炎上とは?

炎上とは何なのでしょうか?ブログの炎上とは、一般には

「批判的コメント・中傷のコメントがブログやtwitterに殺到する」

ということ、またはそれからの一連の流れまでを指すことが多いようです。

 

twitterで言えば、犯罪自慢をしたことで、

 

1 そのアカウントに対する非難・批判が殺到

2 ツイートがメディアに取り上げられる

3 情報が拡散し、ますます非難が集まる

4 個人情報が特定される

5 アカウントが消える

 

ここまでの流れを『炎上』と呼びます(呼ぶことにします)。

4、5は起こらないこともありますが、その場合は1から3までを炎上と呼びます。

 

今回はtwitterの話ではありません。というのも、twitterで拡散される「批判・非難を受けるようなツイート」はだいたい有名人のものだったり、犯罪自慢をするものだからです。私が注目したのはそっちじゃなくて、「一般人のブログ」の炎上

 

炎上の要因

まず、炎上が起きるための要因を分析してみましょう。

 

これをまず「内的要因」と「外的要因」に分類します。

 

内的要因とは、記事そのものが含む、炎上しそうな要因のことです。それに対して外的要因はその記事を読んだ人たちの特徴による要因

要因をざっくり2つに分けるのは、自分の記事が炎上してしまった人、すなわち書き手がのちにその経験を生かすことができるように、です。

つまり、自分の記事に問題があって炎上してしまったのか、(言い方悪いですが)読み手のイチャモンやら逆恨みが原因で炎上したのか、をはっきりさせる目的で分けているということです。

 

この2つについて、それぞれ分析してみましょう。

 

炎上の内的要因

抽象的な思考(=論理)でもって炎上の原因を最初から特定するのは難しいので、まず具体的に考えていきます。つまり、「考えられる、炎上しそうな言論」に目をつけ、これらを列挙していくのです。

 

以下は私の個人的な感想です。

 

 

  • パクリ・嘘だとバレてしまった記事
  • 問題を一面だけから考えた記事
  • 立場の違う人を見下すような記事 
  • 知ったかぶりしている記事

 

それぞれについてみていきましょう。

 

 

 パクリ・嘘だとバレてしまった記事

いわゆるステマ(広告であることを隠し、商品やサービスを宣伝する記事を書き、その報酬にお金をもらうこと)がバレた場合とか、他の記事からパクっていることがバレた場合とかはこれです。

パクりやステマをやっちゃいけないこと自体がいわば「不文律」になっている感のあるネットでは、これがばれちゃうとほぼ間違いなく炎上します。芸能人のステマに定評のあるアメブロの悪口はやめてくれ

最近で言うと、「頭の良い人が実践してる習慣8つ」でしたっけ?そんな感じの記事がパクりだと言われて叩かれてました。あの記事の内容自体が薄いというツッコミはNG

記事のパクりは道徳的にさすがにどうかと思うので、やらないようにしましょう。

やるにしても、炎上を避けるなら絶対にばれないようにしましょう(パクりをしろと言っているのではありません)。

 

 

問題を一面だけから考える記事

これも荒れやすいです。この「問題」には私なりの定義があって、

解決される必要のある不合理や矛盾

という本来の意味に、

 

賛成・反対の立場が明確に分かれている

 

そして、

 

情報が共有されている

 

という定義を付け加えてみました。

捕鯨とか、原発とか、はてなでいえば互助会かな。

 

そういう問題に対し、一方向だけからの考察をしたらどうなるでしょうか。

例えば、「原発」という社会問題に対して、「原発のメリットだけを書いた記事」を投下すると、反対派の人たちは何くそおおおおおおおお

と思うはずです。

彼らは原発を利用することのデメリットを書きたいがため(そのエネルギーは承認欲求から生まれていると勝手に推察)、コメント欄にて批判を行います。長文で。

ついには筆者を人格的に貶める者、文法の間違い、ちょっとした言葉の揚げ足取りをする者まで現れ、何が何だかわからなくなる、というのが定番のパターン。

 

「はてな互助会」も同じです。「はてな互助会は嫌だ」と書くと、互助会派、反「反互助会」派の人間がどこからともなく現れ、熱き批判コメを残して去っていきます。

しかし「互助会は別にいてもいい」なんて書くと、今度は反互助会派の人間が現れ、熱き批判以下略

 

反対派、賛成派というくくりが、ヒトを大胆な言説へと導きます。それは時として

 

極端な意見

 

とも形容されます。「自分は〇〇派である。一人ではない」という帰属意識が働き、その意識によって「多少大げさに言っても大丈夫だろう」という考えになります(筆者も読者も)。

そして、自分と対立する派に所属する人間をレッテル貼りしやすくなるのも、荒れるのに拍車をかけています。見ますよね、「ネトウヨ」とか「左翼」とか、「在日」みたいな、何の根拠もないレッテル貼り。

 

これが「沖縄で食べたい!オススメの店8選」だと荒れにくくなります。もちろん他の店をディスってた場合は話が別になりますが、オススメ紹介は賛成も反対もへったくれもないので、読者が取り立てるところがないんですね。あ、けなしてるわけじゃないですよ。

 

そして、こういう議論をするためには、ある程度情報が共有されている必要があります。

 

考えてみてください。

私が"英語におけるbutという談話標識は、contrastという概念をコード化してる!!"なんて言ったところで、コメント欄が論争になると思いますか?

なるはずがないんですよ。普通の人は談話標識とかコード化なんて言葉の意味も知らないし、知らない時点で「勝手にやってろよ」としか思いません。

 

ですが、これが語用論の学者同士だと立派な議論になります。批判も生まれるはずです。なぜなら彼らは情報を共有できているから。一緒の土台に立っているから。

 

闘いは同じレベル云々という名言がありますよね。まさにそれです。

 

以上から、問題の定義として、「不合理を含む」に「立場が明確に分かれうる」「情報が広く共有されている」を付け加えました。

 

ちなみに、定義には含みませんが、そこに善悪という価値観が絡むと、ますます問題は厄介になります。

論理的なコメントに感情論やら意味のない中傷が入り混じり、コメント欄は熱く盛り上がります。

 

立場の違う人たちを見下すような記事

私が仮に

「アイドルファンの心理はどうしても理解できない。だから奴らは劣ってる

「在日外国人はいらないから国に帰れ」

まだ東京で消耗してるの?」

なんて書いたとしましょう。あ、一応断っておきますよ。これらは例であって、私個人の意見じゃありませんので。

 

これに対して、批判が来るのはごく当たり前の話です。

自分が所属していて、なおかつそれに誇りを持っているような場合、

自分の所属をけなされると自分まで貶められたような気になる

というのが人間というもの。その所属先に自分のアイデンティティがあるのですから。

 

難しく考える必要はありません。自分が好きな歌手、著者、映画をけなされたり、自分の国をディスられたりすると腹が立つというだけです。

この場合、話は難しくなってきます。(後日)

 

知ったかぶりしている記事

人間という生き物にはどうしても承認欲求があります。この場合、

 

知ったか乙。本当は〇〇なんだゼ

無知が知った顔して書くな。真実は〇〇だろ

 

というコメントに態度が現れ、その背景には

 

俺が間違いを正さなくてはいけない!

 

 という正義感が。さらにその裏に

 

間違いを正してみんなに認められたい

 

という欲求がある気がします(証拠はないですが、こう説明すれば辻褄が合います)。これが承認欲求です。

 

これは当然指摘コメントとは分けて考えられるべきです。指摘コメントが「~という……が出したデータによれば、△△の部分、〇〇だと思うのですがどうでしょうか」という形式(論理にのっとった形式)なのに対し、知ったか乙コメントは「筆者は何も知らねえのな」とか「アホ」といういわば余計なひとことが入っていることが多いです。

 

間違いを指摘するだけなら前者のように事実と解釈だけを述べればよいのに、そこに感情的なひとことが入ることで、「無知な筆者と、それにツッコミを入れる詳しい自分」という構図が傍から見てて成り立ちます。

そこから「この人は知ったかぶりを訂正するふりをして、承認欲求を満たしているのだな」と推察できます。

 

これ自体が良いか悪いかはまた別の話として、知ったかぶりで記事を書くとこういったツッコミが入ることは否めません

 

他人に真実を語らせるための最もいい方法は、

わざと少し間違えて言うことだ

なんて名言があるくらいなのですから、訂正における人間の承認欲求を侮ってはいけません。炎上が怖いならちゃんと下調べをして書きましょう。

 

炎上のための内的要因は1つではありません。たいていの場合、2、3個が絡み合っています。

ですが、このように分析をすることで、どうして炎上したのか、炎上しないためにはどうすればよいか、を考えることが容易になります。

 

 

他にも要因はあるかもしれませんが、私が考えつく限りではすべてです。あったらコメントでお願いします。

 

炎上の外的要因

次は外的要因。つまり、「記事の内容は悪くなかったけど、読み手の受け取り方が良くなかったな」というもの。こっちも列挙しますかね。

 

というところで、文字数の関係から今日はさようなら。また次回やっていきます。

たぶん、次回完結します。